2019-6/30.Sun ■25日にはX-MENダークフェニックス、28日にはスパイダーマン ファーフロムホーム、29日にハウス・ジャック・ビルトをそれぞれ仕事終わりに観に行った。つい2,3ヶ月前まではいつ来るかわからない相手からのご飯の誘いを待って映画に集中できていなかったから、久々に携帯を気にせずに映画を観た。ハウスジャックビルトが面白かった。 ■自分が相手のどこを好きだったかはいつか話そう、少しだけ情けない理由だったから、今は振り返りたくない、いまはまだ文字にしない。新しく好きな人ができたら改めて。
2019-6/21.Fri ■うまくいかないことも延命処置が長く続かないことも分かっていても結局なにも捨てられずに連絡をとって、自分が週末なにをするかを言って、それなら週末に会おうか、なんていう自然な流れで、その週末の計画も兼ねて、なんて、少しずつ植えた種から芽が出たように、そこまでは計算どおりにことが運んで会うことになった。会ってから誕生日プレゼントを貰ったけど、自分が誕生日プレゼントをあげたことへのお礼だと考えると、なんとなくいらないなと思った。儀礼的なプレゼントなら、いらない。ここ最近は会っても嫌われることや相手に幻滅されることが恐ろしくなっていて、一緒に御飯を食べるときだけ、なんだか美味しくもないし、喉に通らないけど自分の妙なこだわりとして少食だったりするのも嫌だったから、頑張って、ゆっくりとファミレスの定食を口に運んだ。何一つ、かなしいほど、うまく喋れていなかったんだと思う。 ■帰りの車の中で、会話をしていて、なんだかよく覚えてはいない会話の流れで「こっちが喋ってるときに重ねてくるのやめて?それほんとうに一番イヤだ」とストレートなダメ出しをされた。自分は言われたことの悲しみの衝撃で何を言っていいかわからず、正解なんてその場ではじき出せるはずもなく、むしろ自分の不快感丸出しで「神経質だよね」と言った。そこから会話は一切失われた。そもそも自分は会話の自信があるわけではないけど、例えばビジネスライクな会話や、その場しのぎの初対面の相手、目上の人との接し方は昔からすごく人に褒められて来た。仕事で相手の懐に入り込む微妙な人懐っこさだとか、笑いを取ることに関して職場でも誰からも褒められるし、嫌味のついた褒め言葉として営業や詐欺師に向いているとよく言われる。 ■ただ、それが好きな人の前では少しも、全然、たったの少しも発揮できない。それは恋愛に限ったことではなく友人になりたいと思っている人の前でも軽薄な冗談が少しも言えなくなる。自分でもそれは客観的に俯瞰しながら言葉を失っていくのが見えるくらいに話せなくなる。それはその時間を過ごしながらとても悲しい気持ちを感じているし、帰ってからもいつも後悔してばかりだ。車から降りるときに、ありがとう、と言って、それに対して、なにか返事はあったっけ、自分が相手から受け取った最後の言葉は、もしかしてとても悲しい責める言葉だったんじゃないか、思いは尽きない。ただ、自分が相手のことを好きなせいで言葉もうまく出てこなくて、焦った結果、そうなってしまっているということだけは真実として存在している。決して、自分がそうしたくてこんなふうな話し方しかできなかったんじゃない、本当はもっと上手に話したかった、でもやっぱりうまく話せないんだ、だからどうしようもないじゃないか。彼に見せた自分の話し方は、自分だって、全然本意じゃなかった。それだけは、どうか。(もう伝える機会は失われたかもしれないけど) ■家に着いてからメッセージを送った。ごめんね、と、誕生日プレゼントありがとう、と2通送った。それに対して「シェアできる内容は二人の間にたくさんあると思う。会話のタイミングとかは相性がすごく悪いと思う、ごめんね」というような内容が返ってきて、そのごめんね、が、今後もう連絡を取らないほうがいいという意味でのごめんねなのかどうかは未だに判別がついていない。その時送らててきたメッセージに対して、素直に、だけど保身のような、言い訳のような返信をして、2通目には軽薄な明るさで「でも相性が悪いっていうのは悲しかったな」と送信した。それに対しての返信はない、面倒くさいと思われてるということは分かってはいる、ただ、まだ自分は今後もう会えないのかどうかだけを考えていて、どうしようもなく愚かだと自覚している。
2019-5/8.SUN ■結局このまえもうあれだけ悲しんで悲劇のヒロインぶって連絡をしないと言っておきながら必要な連絡事項があって、そこから惰性でメッセージのやり取りをしていたけど、でも、けっきょくやっぱり、すごくメンヘラなことをして終わらせようと試行している。前はもう少し多くの頻度でメッセージが返ってきていたけど、最近は返信からの返信が、もう続かなくなってきてしまっている。それ自体、頻度にはなんの問題もない。ただ、向こうがその返信を1日放置してから申し訳程度に返信してくることが分かってしまうのが、もう返信がこないことと同じくらい辛くなってしまった。 ■相手の移動する新居に関しての壁紙やシンクやタイルなど、もうすべてを決め終えたらしい。自分はもし、まだ、間に合うのなら、自分の介入できる余地が無いかを、ここ数日考えてしまっていて、最終的に「もう全部きまった?」「決まったよ」「そっか、じゃぁ自分ができることはもうなにもないのかな」「そうかもしれないねw」という、味気ないやり取りをした。「そっか、お疲れ様、こちらはもうダメです」とメッセージを送って、スマホライン文化のもっとも最悪な機能の一つである既読無視をすることにした。「こちらはもうダメです」っていうのは、メンヘラ的な思わせぶりの心配をかけるモラルとしてもマナーとしても最低な一言であるけど、それと同時に、結局なにもダメなところなんてなくて、「なにが?」と言われても、どんな嘘をつけばいいのか分からずに自分には返信しようがないから送った内容でもある。返信したい気持ちしかないから、強引に自分が返信できないような文章を送ってもらえるように仕向けてしまった。お腹も空くし、眠れなくても眠らなければならないし、退職の前の最後の大きな仕事を進める意欲もあるから、ほんとうは、なにもダメなところなんてないから、心配だけさせて、でも本当はもう心配することなんてないんです。案の定、最後に気遣うような「なにが?」というメッセージが送られてきて、それをスクショできたからもう大丈夫。心から面倒な地雷男だと思いつつこれにて終わり。
2019-5/5.SUN ■6日の日記を更新した夜中から朝方にかけてふっこさんが見ていてくれた。自分の書き殴った過去の後悔や自分の曝け出した恥、愚かなことやつまらないことを見ていてくれた、それにどれだけ救われたか。ironyは最高ですね、いつも見ていてくださってありがとう。何よりも嬉しい、自分の身に起こった出来事が、ここに書いて、読んでもらえて、ようやく少しずつ終わっていく。これからも何度も何度も始まり続け終わり続け失恋の絶望が続いていっても、でもやっぱり、少しだけここに書いて終わることがある。この場所はまだやめられない。 ■TWITTERで返信でもなくお互いしか分からないようなことを発信しあって、これってSNSの一番ステキな使い方かもしれない。
2019-5/4.SAT
■一番仲のいい最近引っ越した友達がプロジェクターのスクリーンを購入したらしく、前に勢いで購入した使っていないプロジェクターをあげるために祐天寺にいった。 ■友達には最近かった西澤丞の写真集を貸した。友達もすごく気に入ってくれた。世の中にはこんなふうに機能だけを追求した、理に適った理論的なものがある。自分にはなかなかそれが信じられないくらい完璧なものにみえた。自分がこんなふうに恋愛脳でだらだらと引きずっているのに、世の中にはこんなに完璧なものがある。それが羨ましくてしょうがなかった。ちゃんと人に役に立っていて、そんなものが。 ■その友達に、色々と話した。tumblrにあった文章も含めて。その友達も自分も、共通して今まで人と深く関係を持とうとしなかったタイプだったから、お互いすごく共感してしまった。「ほんとうはもっと他人としっかりとぶつかりあうべきだったね、お互い。私も今まで全然ひとと深くぶつかったことがないことを引け目に感じている。もっと奔放に自分の思いをぶちまけたって、悲しんだって、それが原因でどれだけ傷を負ったとしても、お互いそういう体験はもっとするべきだった。でも君はまだ間に合ったりはしない?」と、そういう話をした。そうだよね、そのとおりだ。 ■帰り道にいろんなことを考えた。ACOの曲を聞きながら歩いた。細かな住宅街をもっと歩きたいと思いつつ、大きな通りに出たときに少し安心してしまった、ここを歩いていたら、夜中によく車に乗っているあの好きな人の目に触れる可能性は増える、もし相手の新しく出会った可愛い子が目黒に住んでいたら、きっと自分のように帰りを送るときにここを通るかもしれない、そしたら自分のことが目に入るかもしれない、粘着質な考えが頭に浮かぶ。恋愛の途中の、小休止を味わうような「悦びに咲く花 (PIANO INSTRUMENTAL)」の次に、エンドロールのような「夏の陽 (HEAVEN MIX / NSTRUMENTAL)」が流れる。待って欲しいと思った、何度もこの曲が終わるのを待って欲しいと願ってやまなかった。この曲が明確に自分の中にある終わりをもっともっと近いものにしていく。相手に「最近どう?」なんてばかみたいな連絡をしてしまいたい、けどそれに返信が無ければ?どうすればいい?か、を考える。そうしていたら、またそれが一つの終わりになってしまう、何度も何度も失恋が続く。続き続ける。帰ってこないラインのトークを見るたびにこれから何度だって失恋の絶望が自分を襲う。夜中の1時位に友達の家から帰ったのに何度も何度もカップルとすれ違い、夜中だから密着しながら歩く姿を横目に、悲しいほどに幸福を願った。みんな幸せになってほしい、みんなの幸せを願う自分の正しい気持ちが自分に帰ってくるようにと祈った。すごく悲しい終わりの祈りだった。みんなそれぞれ悲しみと絶望を乗り越えて恋人と歩いている。よく頑張ったなぁ、それともこの二人は惰性で寄り添っているんだろうか、それだっていいじゃないか、それもまた良い。頑張れ、頑張ってほしい。幸福でいるためには努力と自分の恥をさらけ出す勇気もいる、彼らにはそれがあったんだろう、自分が怠った努力だ。でも自分だって、実は頑張ったつもりでいた、相手に好かれるために、今までよりももっと自分の意志を出してみたり、相手に寄り添った言葉をなげかけたり、あるいはそのどちらかをしようとして、結局なにも言えなくなってしまったり。もっとありがとうと言いたかった。送ってくれてありがとう、こうしてくれてありがとう、いただきますやごちそうさま、今度はあんなことがしたい、どこかにいきたい、なにがほしい?自分のできる範囲でなにか出来るかもしれないよ、でもそんなの、今思い出したってもう何もできない、相手がそばにいないと、その言葉すべて、ぜんぜん、言えない、もっと自分の好意をこの世界に、相手が見える形で表現したかった、今ならわかる、謝ることも褒めることも受け入れることも、全部全部、思いにほかならなかった。そんな思いをうちにとどめてしまって、今はよどんで澱となって沈殿している。くすぶった好意は行く宛がない。かわいそうな好意。ごめんなさい、自分の好意に、申し訳がない、清々しく終われるように、もっときみを外に出してあげるべきだった。好意が、相手の糧になってくれたかもしれない、相手の良かったところを伝えたい、それが相手の自信や術になるように。自分がその補給源になれればよかったなぁ、そうであれば。もっと、この好意も、相手のそばにいる自分の存在も、少しは報われたのに、成就しなくったって。 ■こんなふうに終わっていく、果たされない約束はいわば戦いの結果で、その約束を結実させる力が自分にはなかった。旅行にいこうという約束や、犬の散歩だとか、さようなら。(こんなふうに書いてはいても、やはりどこかで正確の不一致などでの不可能性のほうを強く感じているので、これもまたまだ新しい傷が癒えていないせい、浅はかな感傷でもある、どうがんばってこの恋が成就したところで、たぶん2,3日でまた相手の言動に疲れたりすると思うと、結局どうしていいかはわからなくなるだけ。でもまだ相手の、車の運転のときの苛立った口汚い他車への言葉や、自身の生活の余裕からくる嫌味な上から目線も、好きになってしまったせいで易しく取り扱っている、そんなの、好きでもなければただ唾棄すべき短所や悪徳でしかないはずなのに。でも自分が好きになった理由の一つに、ピアノがうまくったって、英語が流暢にしゃべれたって、お金があって時間の余裕があたって、結局そんなの相手は利用するでもなく、時間を無駄に過ごしていて、自分のほしかったゆとりやピアノの腕や英語を、ただ手持ち無沙汰にしているところもある。自分の欲しかったものを、相手はなんの感慨もなく、ただ持っているだけ、そんなところがなんだか好きだった。)
2019-5/3.FRI ■泊まりに行った日、家まで送ってもらってから、連絡をして、普通にメッセージのやり取りをしてそれ以降連絡をとっていない、たったの数日ではあるものの、今まで1日1通でもやり取りをしていたばかみたいな習慣を前に、悲しい気持ちで過ごしていた。 ■もっと馬鹿みたいに気持ち悪いストーカーまがいの自分の行動を告白する。そもそもであったのはアプリがきっかけで、そのアプリは最近よくある近場にいる相手が確認できるアプリで、同性愛者の出会いなんてほぼそういう出会い系まがいのアプリやサイトがここ数年の主流だった。ストーカーまがいの自分は、たまーに相手のページを見て画像とかを確認することがあった。そして今は連絡が取れていないぶん相手のことが気になって、相手のページを見ようとしてしまった。そんなの大きな間違いだった。自分のアプリには相手が表示されていなくて、何かの間違いと思ったけど、普通に、冷静に、ごく当たり前に考えてブロックされていることは明白だった。そもそもラインを交換してアプリはすでに使用していないから、そこでのブロックにそんなに意味がないことおまた確かではあった、でも明確に、相手が生活の一部から自分の存在を消去したことには違いはない。 ■相手の家に泊まったときに、歯ブラシを置いていくかどうか聴いたことや、次に合うときは新しい家のここを一緒に考えてほしいだとか、今度は家によるからちゃんと部屋を片付けておいて、だとか、そういうやり取りもありつつも、自分は相手の生活の一部から姿を消してほしかったらしい。その行動の基準や、泊まったあとに何らかの心境の変化があったのか、なにか、なにか、なにかが引き金にあったのか、何もかもわからない、でも思いつくことは確かにある、2日に友達と深大寺に向かうときに、そこまで近距離ではないにしろ成城に住む相手の、自分が深大寺に向かう沿線で一番近い場所で現在位置を更新してみたり、その他の日も相手のページを見てからすぐに足あとをけしたりだとか、その曖昧な、証拠もすぐに隠滅したはずの何かの行為が相手の目に余ったのかもしれない、でも、もうどうでもいいんだけど。 ■とにかく、それが今回の恋愛の着地点の一つ、だったのか、は、わからないけど、自分はもうやめようと思った。のは、確か。ただ一つ言いたいのは、今回の恋愛で自分は一度も自分から相手に連絡はしていなかった。待つだけで、でもそれも、考えてみれば気持ち悪かったな、どうしてもっと清々しく爽やかな自分の好意を発せなかったんだろう?相手のことを考えているふりをしながら、傷つきたくなかっただけだ。 ■tumblrでこんなどうしようもなく胸を引き裂くような文章が流れてきた。「幸せの反対は悲しみではなく退屈であり それを、ほどほどに我慢できる状況として受け入れることこそ、起こりうる最悪の事態なのだ」まさに自分のことだ。こんなふうに絶望的に悲しい状況を、ほどほどに我慢できる状況として受け入れようとしている。その文章の引用元には続きもあった。「やってみた、失敗した。そんなことは問題じゃない。もう1度やってみよう、また失敗してもいい。今度は上手に失敗できる」なんてこった、自分は、失敗もできなかった。失敗すらできずに、失敗して、その状況を我慢できるものとして受け入れてしまった。終わってしまっているかもしれない、でもまだ始まったばかりかもしれない、なんてこった。こんな状況を自分がみたら、きっとどうしようもないほどバカにされるに違いない。
2019-5/2.THU
■友達と前から約束していた、深大寺の神代植物公園にいった。最近偶然にも、暖かくなったからというのもあるんだけど植物に触れる約束が多い。深大寺についてまず定番の蕎麦をたべた。あまりにすべてが美味しくて友達とこんなふうに笑い合う時間が嬉しい。このときはまだ、好きな人のことも余裕を持って考えていたと思う、ただ、頭にもやもやは残っていた。植物公園もすごく良かった。まさに森林浴という感じで、その場にいるだけで気持ちがよくて、呼吸も、歩行もすべてが上手く行っていた。好きな人のそばにいるよりもずっと体が弛緩して思うようにのびのびとした。 ■夜、友達2人が東横線沿いに最近ひっこしてきたこともあって東横沿いにもどってきてご飯を食べた。ご飯を食べながら、最近の自分の恋愛について聴いてもらった。本当は、好きな人と会ったときにあったいろんな自分の苛立ちや断絶や悲しみや怒りを誰かに聴いてほしかった。恋愛脳で馬鹿みたいにのぼせ上がりつつも、相手の言動や行為の絶望的な自分との噛み合わない部分を、聴いてほしかった。例えば、お風呂を使わせてもらって、シャンプーや体を洗ったあとに泡が壁に飛んでそれをシャワーで流すときに、よくある風呂のポリスチレンの折り戸にシャワーを当てたときに「それやめてもらっていい?水垢とかになるから」と言われたことや、車の助手席に座って後ろのシートのものを取るときに助手席に膝立ちになろうとしたときに「シートが傷むからそれやめて」だとか。止まった翌日に家に帰るときに、「少し部屋よってもいい?」と聞かれて「今散らかってるから今はだめ」に対して「つまんない」と言われたときのこと、それらが少しだけ自分の心に引っかかっていて、それを友達に聞いてもらった。恐らく自分が、例えば、今はそういう話になんてなっていないにしろ、例えば付き合うことになっても一緒に住んだりは絶対できない、という内容で、つまるところ、そういうところは合わなくて、ただ1日一緒にいただけで苛立つこともあったのに、おそらく付き合うなんて無理だろうと、そう話した。 ■話すことでどんどん冷静になり無理そうな気持ちと同時に、やはり無理だと実感する絶望に帰り道にやるせなくなった。すごく、すごく胸が重かった。
2019-5/1.WED ■朝だらだらと1時近くまで寝て、そろそろ行動しようとなってご飯を食べて、色々と家具屋をみたりした。特に何もない、なんの変哲もない1日はむしろすごく自然に幸せがそこにあって、相手にとって自分が苦にはなってないんじゃないかと、そう思えるような1日だった気がした。 ■そういえば、部屋から出るときに、もう家に帰る準備をしていた。相手は洗面所で顔を洗っていて、そこにあった自分の歯ブラシを見て「歯ブラシどうする?置いてく?」なんてきいてきた。その時のことは今でも思い出せる、嬉しくて、また自分がここに来る明確な可能性を秘めた言葉だった。なのに、なんでかな、「あぁ、ごめん持っていくね」とすぐに返答した。だって、それがその時に考えうる最良だと思ったから。相手の負担に少しでもならないように。神経質気味な相手の生活に、なにか異質なものが入り込むのは相手の少しの負担になるんじゃないかと、そう思った。でも、自分は、相手の負担になりたかったんだ、今ならわかる。自分は相手の負担であろうと、少しでも相手の精神や生活に入り込みたかった。何かを見るたびにそれを思い出すような。なんであのとき、「置いてってもいい?」と、そういえなかったんだろう。
2019-4/30.TUE ■ゴールデンウィークに会おうよなんて事前に自分が言っていたことを覚えていてくれてたのか、「どうする?」なんて訊いてくれていたからゴールデンウィークには会えることになっていた。 ■相手の家の最寄り駅に10時半頃について迎えに来てもらって、ホームセンターで土を購入した。今回の予定は相手の所有するマンションの庭の造園関係だった。ひとまず相手の家に着いて購入した土をおろして家にはいった。朝に弱い相手はごろごろとし始めて自分も横になってだらだらした流れでセックスに満たない性的なふれあいをした。自分はその時に結局達することはなくて、そもそもあまり自分はセックスに於いて自分がどうのこうのというのは割とどうでもよく、相手の体に触れるのがすごく好きで、相手に何をされるかということよりも、そのときも相手にただただ触れたい一心だった。もちろんセックスという好意が相互のスキンシップであり、そんな自分の自己中心的な欲求だけでは成り立たないことも分かってはいたけど、なんだか気分が削がれてしまった。恐らく、もうすぐに終わってしまう予感をはらんだこの逢瀬が自分にとってはすごく悲しいことだったからだとも思うけど、もっと単純なことだったと思う、どっちにしろ自分はそういうことの重要性をわかりつつも蔑ろにしてしまって、さも問題ではないかのように終えた。 ■造園は楽しかった。久々に土に触れてそういえばくさきの感触はこうだったと思いだした。触ることは珍しいことではないのに、造園において雑草と言われる草を引き抜いたり土を掘ったり切断したりするときに、ただ触れるだけではなく根の強靭さや長さ、地面に表出する緑の茎や葉の柔らかさを改めて知ったような気持ちだった。だって、この先もこんなふうに草花に触れることがあるだろうか。いま好きな相手がいて、その人の住む家にこうして庭があるから触れたに過ぎない。10年以上ぶりだと思う。 ■夜、外食をする前に部屋で休憩しながら「いま照明をどうするか悩んでる。あとで見に行こう」という話になって、外食後に移動先の部屋を見に行った。現時点で改装中の部屋にきたのは2回目。新しい部屋というのは新しい可能性に満ちていて、そこにいるときに感じる特別で優越的な時間を、喜びつつも激しく悲しい気持ちで観た。まだ何も家電や家具が置いていないその部屋の壁をみて、こんな照明がいい、あそこにはこういうのがいい、とか無責任につぶやいた。まだトイレは使用できない状態だったから、一度階上の部屋に戻りトイレに行ってくると行った相手に、「コーヒーが飲みたい」なんてワガママを言った。なにもない部屋でこれからの可能性しか、希望しか、将来しかない、ビジョンだけの状況で二人でコーヒーを床で飲んだ。恐らく、これほどの幸福はこの関係に於いてはないんだろう。
2019-4/20.SAT ■今から書くことはとてもつまらなくてどうしようもなく愚かな文章です、矮小で弱い自分が、さらに恋愛をして散乱した思考で曇っていて、でも自分にとっては揺すぶられる出来事だった。 ■出会ったときにはDは既に住居の移動の準備を進めていて、そこにちょうどよく現れた自分はデザイン関係の仕事をしていてなんとなくだけど図面の見方や色の組み合わせは稚拙ながらも選択の基準や素材への若干の理解を持ち合わせていたから、何回か合うたびに少しずつ相談に乗っていた。もちろん自分が好きな人の家に住むわけではないことは分かっているのに、部屋の壁紙や台所や洗面所のタイルを決めながらそこを使用する自分の姿を想像した。そのたびに念を押すように自分が住むわけじゃないから一般論として天井にいれるべき色や壁に対して、壁紙のリピートの幅を計算してその大きさの適切な値などを考えた。そこで自分は何も勘違いをしないように心がけた。でも例えばタイルの柄を決めるときのメッセージのやり取りで「明日タイルの業者のショールームに行こうと思ってる」「いってらっしゃい、いいの見つかるといいね」「一緒に行かないの?」だとか、自分がそもそも一緒に決める予定かのような言い方を何度かされた。天井の壁紙のときも「迷いすぎて疲れたから決めてほしい」なんて言い方で一緒に壁紙を見に行ったりもした。何度も何度も自分が特別だからそんなことを言われているのじゃないことを肝に銘じた。(そもそも自分は好きな人であれば、さも当然のように自分の予定が決められていたことを、むしろ好意的に受け止める愚か者です) ■何故か出会ったときから1日数通のやり取りを繰り返して、もう半年が経とうとしている。本当に些細なやりとりだけど続いていた。自分は返すことが難しいおやすみおはようのメッセージがすごく苦手なのに、Dはとてもちょうどいいメッセージを送ってきてくれた。例えば手につけた、俗にいうウェアラブルデバイスと連携させたスマホのアプリの睡眠グラフのスクリーンショットを送ってきて「昨日はこれだけ寝られた」と。そのメッセージに対してなら「たくさん眠れたね」「寝るのがおそすぎる」なんて返し方ができる。それだけじゃなく続けることが容易だったのはおやすみ、おはようという言葉を結局どちらかが寝ていたり、時間が合わないせいで明確な終わりの境界が無かったせいもある。「もう寝た?おやすみ」そう送られてきたメッセージには翌朝出勤してから「ごめん寝てた、もう起きた?」とか、そんなことを返せた。それが、この半年絶えず繰り返された。 ■先日、日常的な流れの中で、「次は洗面台とスロップシンクを決めなきゃ」と言われて、それに対して自分が一緒に悩むべきなのか、或いは別に自分に対して言ったのではなく、今迷っているんだ、というつぶやきのようなものだったのかわからずにいて「大変だね、頑張って」と返した。そこから連絡が途絶えた。もしかしてそこで熱心に相談に乗っていれば、今もまだ連絡が続いていたかもしれない。 ■自分にとっては、日々の連絡が生命線のような、心の拠り所になってた。でもこの前はなしたときに、「夜はたいてい食べに出てるかな、ファミレスとか。適当にだれかさそって」と、少しだけ驚いたのは、相手は意外と社交的というか相手を誘い、そして夕飯を誰かと食べることに対して少しも億劫にならないタイプの人間だったこと。自分は毎日誰かとご飯を食べるなんてのは到底ムリな話で、相手が自分と似ているとは思ったことが無いにせよ、そんなふうに人間関係をうまく保とうとするタイプだとは思ってなかった。心のどこかで、相手は自分と似た孤独を抱えているんだと思ってしまっていた、だから相手が自分を食事に誘ってくれることが、ただの日常よりも、少しだけ特別な感情の発露だと、そう思ってしまっていた。それが恥ずかしくて、悲しい。相手にとっては、自分は日常の食事に誘うのにとても簡単だったのかもしれない。 ■だから連絡が途絶えたこと、相手にとってのこの数ヶ月のラインのやり取りもすごく簡単に誰とでも行っている定期連絡のようなもので、自分が思っているような特別なことではなかったんだろうなと思う。だから自分は、この数ヶ月のその重要性が、急に霧散するかのような視界のクリアさに戸惑っている、靄がかかっていた状態では、あえて有耶無耶にして気づかないようにしていただけで、今はじめてはっきりしたように、疑問が解決した気がしていて、寄り添っていた絶望が初めて自分に触れた気がする。それももしかして勘違いかもしれないけど、ただ、初めて絶望が具体性を帯びて這い寄ってきた。
2019-4/19.FRI ■仕事が終わって18:30の定時、シネマート新宿でやっている「バニシング」は21:15分からだった。時間を持て余してしまい、歩いて向かってみた。地図上では1時間45分かかるらしいけど歩くのが早い自分は1時間10分位でついた。その間、好きな人からの連絡はやっぱりこないままだったけど、それでもまだ他の人から連絡がこなくてよかった。自分には友達が少なくてよかったと思う。好きな人から連絡がきてもバイブレーションや電子音で聞き分けられるわけないし、そもそも鳴らないから、下手にぬか喜びする必要がなくて安堵している。白金から新宿まで歩くことをいとわない性格や歩ける体力、これから映画を一人でみにいくこと、全部自分らしくて良い、とてもかわいそう。 ■「ザ・バニシング-消失-」とても良かった。ヨーロッパ映画らしいライトな部分と、犯人の平然とした狂気のバランスが絶妙。ラストで行き着く犯人のはた迷惑な完璧主義と遂行の自己満足の到達、それが全うにも思える圧倒的な純粋さ。悪意と言うよりも個性と精神の思うがままにした先の結果として、達成感すらある。ドラマチックさよりも犯人の精神のまっとうさや健康さをみせるフラットな画面、この映画が見せたかった「普通の人々の中に発生してしまった、如何ともし難い純粋な異分子」の表現がめちゃくちゃに成功していて、恐ろしい。そのくらいこの映画のなかでの自然体として犯人が存在している。
2019-4/16.TUE
■Dの家の改装のためのタイルを見に、名古屋モザイクのショールームに。仕事でいくつかタイルのサンプルは見たことがあったのに、実際のショールームで見てみたときにその陳列の仕方やわかりやすさを求めたディスプレイが面白かった。 ■夕方頃に終わって稲城のスーパー銭湯にいった。それ以上、思い出したくない、普通に1日が過ぎ、まるで二人は自然にそこにいて、なんの展開もなければ、ただ幸福かつ、起伏なく、好意の一方的さに、思い出すと悲しくなってしまう。
2019-4/14.SUN ■行きたかったショールームが定休日でやっていなかった。待ち合わせて喫茶店でコーヒーを飲んだ。自分の来ていたウィンドブレーカーには昨日の夜に3次会から出た結婚式のパーティのときについたのか、醤油のシミかなにかがあって、それを見かねたDが「時間も持て余したし、上着買いに行こう」なんて言って、新宿のアディダスで、自分だったら買わないような上着を買ってもらった、ようしゃなく増えていく思い出、どうしたものか。 ■ファミレスで待っている間に、ジョナサンのロゴのプレートがいい感じに貼られているのを観たDがキーホルダーとかでほしいなんて言ってて、そういえば井上陽水のツアーグッズが似たような昭和っぽさがあっていいよ、とか話した。帰りの車の中で井上陽水をかけてくれて、何が好きか聞かれて「なぜか上海」と「帰れない二人」をあげた。でもこういう共通点に執拗に思い入れてしまうのはきっと自分のような人種だけなんだろう、Dがもしほかの誰かと付き合って、そんな共通点がなくてもその人を愛していくということが、むしろ、きっと健康的なのかもしれない。自分が固執する音楽や文化なんてものが、果たして二人の間に、どういう比重を占めるんだろう。
2019-4/10.WED ■有給をたくさん使ってしまいたいという自分の話を発端に今度どこかにいこうよ、と言われた。いつもどおり都内周辺をドライブしたり散歩したりかと思ったら泊まりで、と予想もしなかった言葉が表示されて、実感がわかないまま日本海側に行きたいといった。 ■果たされる約束なのかそうではないのか、最近はめっきり見当がつかない。でもその約束が、果たされても果たされなくても、約束自体が素敵なことに変わりはない。
2019-4/9.TUE ■最近は夜すごく早く寝ようとしてて日付が変わる前に寝たりしてるんだけど、そうすると夜中のどうしようもない時間に目が覚めて、すぐに携帯を見てしまう。真っ暗な部屋に合わせてぼんやりと自動調整された黄味がかった画面ですらとても眩しい。毎日なぜか1日ほんの数通だけの短文のやり取りは続いていて、それだけがこの半年の救いになってる。お互いが送ったメッセージに気が向いたときに返信をして、それが何時間もたって繰り返されて何日も続いている。必要以上に自分を驚かせたり悲しませたり、感情を波うたせる内容なんてほとんどなくて、なんてことないだけの一言が送られてくるのに、ラインを開くのはいつも怖くて、いつだってどうしようもなく嬉しい。 ■また4時ごろに起きてしまい、どうせ帰ってこないと思っていたラインにすぐ既読がついて帰ってきた。すぐその後で電話が来て「まだ起きてるの?」なんてメッセージでのやり取りと何も変わらないことを話した。メッセージのやり取りと何も変わらない通話が、声が聞こえるだけで生々しく、気持ちが落ち込むくらいに特別だった。電話してくれることが、時間ではなく自分の切実さに対して笑っちゃうくらいに無神経だから、好きと言って仕舞えば責任を取って欲しいような気持ちでいる。全然些細じゃなく大事な時間だった。 ■毎日睡眠時間が短くて悩んでるのに夜更かししてても、実際は寝つきが異様にいい人だから、『もう横になったからじきに落ちると思う』って話して、言葉通り1分後くらいに声が聞こえなくなった、寝落ちしたことはわかってるのに全然電話が切れなくて名前を呼びながらベランダでタバコを吸った。寝てる相手に、気持ち悪い行為だとしても好きと言ったり睡眠学習みたいに囁こうと思ったけど、本当に気持ち悪いだけだし、実は聞こえてたら怖いからやめた。でもそんなこと言わなくても、無言の電話を切れずにいたことに気づかれていたらただの告白でしかなく、こんなダダ漏れの相手にいつまで構う気でいるんだろう。
2019-3/30.SAT ■メッセージを送っていた流れで散歩でもしようかって言って、二子玉川の周辺を散歩した。この日は夕方から友達との約束があったから、夕方まで一緒にいてもらったような時間だった。 ■二子玉川の駅の2階のレストランが多く並ぶフロアを過ぎて河へと続く遊歩道のような道はなんだかすごくポケットモンスターの世界みたいで、町並みを抜けて次の街へと進む境界の曖昧な道のようだった。二子玉川を二人で歩くなんて、それだけでなんだか面白くて、浮足立ってしまった。この日は、とても自然に隣を歩いていた。余計な干渉を連れ立つことなく普通に隣を歩いた。とても普通に、フラットに、常識的に。 ■昔、幼いころによく歩いた道だったらしい場所で、『まだあったんだ』って鉄道模型のお店があった。入らなかった店を戸から覗くと可愛らしいジオラマがお店の中に飾られてるかと思えば壁にかけられた所狭しと並んだ細かいパーツがむしろマニアックさと整頓された状態で余計に心を奪われた。
2019-3/15.FRI ■週一で、なんだか金曜はなんとなく会ってご飯でも食べてる。今日はいつもよりも無味無臭で乾燥した時間だった、それがもうかけがえのない時間かどうかもわからない。全部は自分の中で起こってる出来事で、それがもう、なんていうか一人の人間の限界だなと思う。自分が何かを言葉にして相手になにか反応させることでしかお互いの間にはなにもないような、救いでもあるのにすごく絶望が隣り合ってる。ご飯を食べながら眠そうだねって言われたけど特にそんなことはなくて、なんとなく「花粉症がひどくて、自然と体力つかってるかもしれない。風邪とかでも、ウィルスと戦ってることで体力使うって言うし」とか意味分かんないこと言った気がする。帰りの車の中で今日は早く寝なって言われて、それこそ救いに寄り添った絶望の最たるものだから、また今日もそれを噛み締めて距離を置こうと思って帰宅する。今日は自分から連絡をとらないようにしようと思う、送ってくれてありがとうの言葉を車の中で済ませて、家についてから改めて連絡を取らないようにしようと思う、それで相手から一切の連絡が来なくなるのなら、勝負に勝って試合に負けるような消極的な終焉にしようと思う。午前2時47分に、もう寝るわ、という連絡が来るから自分は勝負に負けて試合を持ち越す。相手から連絡が来たという言い訳に自分はすぐ返信する。「もう寝ちゃうんだ、自分も寝ようかな」。本当にみっともない、見苦しい。
2019-3/20.WED ■映画「たちあがる女」観た。めちゃくちゃ良かった。オフビートでシュールでユニークでユーモアがある。一人戦う女性の、その正義の行先や方法の是非ではなく、ただ戦う姿が真面目に描かれている。本当に、ただ一人で。彼女を追った映像の中にありがちなロマンスや男の存在が無いのもまた良い。そういうのはすごくこの時代ならではのリテラシーな気がしてくる。特に最近は。 ■恵比寿ガーデンシネマで観たあとに、乗り換えの面倒さを感じてとりあえずひと駅分歩けば一本で帰れると思ったのに案外恵比寿から自宅が近くて歩いて帰った。今工事中の目黒清掃工場の様子がとても良い。都立大学の夜の打ちっぱなしもすごく好き。会社から歩いて帰りたくなったら、目黒から恵比寿を通って帰ろう。今まで地図を観ないで遠回りしてた。
2019-3/15.FRI ■週一で、なんだか金曜はなんとなく会ってご飯でも食べてる。今日はいつもよりも無味無臭で乾燥した時間だった、それがもうかけがえのない時間かどうかもわからない。全部は自分の中で起こってる出来事で、それがもう、なんていうか一人の人間の限界だなと思う。自分が何かを言葉にして相手になにか反応させることでしかお互いの間にはなにもないような、救いでもあるのにすごく絶望が隣り合ってる。ご飯を食べながら眠そうだねって言われたけど特にそんなことはなくて、なんとなく「花粉症がひどくて、自然と体力つかってるかもしれない。風邪とかでも、ウィルスと戦ってることで体力使うって言うし」とか意味分かんないこと言った気がする。帰りの車の中で今日は早く寝なって言われて、それこそ救いに寄り添った絶望の最たるものだから、また今日もそれを噛み締めて距離を置こうと思って帰宅する。今日は自分から連絡をとらないようにしようと思う、送ってくれてありがとうの言葉を車の中で済ませて、家についてから改めて連絡を取らないようにしようと思う、それで相手から一切の連絡が来なくなるのなら、勝負に勝って試合に負けるような消極的な終焉にしようと思う。午前2時47分に、もう寝るわ、という連絡が来るから自分は勝負に負けて試合を持ち越す。相手から連絡が来たという言い訳に自分はすぐ返信する。「もう寝ちゃうんだ、自分も寝ようかな」。本当にみっともない、見苦しい。
2019-3/11.MON ■寝る前になって、1日不安だったことを思いながらやっぱりそろそろ終わらせなければと思って考えが止まらなくなった。昼間に観た映画の「バッド・ジーニアス」のせいかもしれない、そう思うと鼓動の速さが思考を乱れさせてるのか、思考の乱れが鼓動を早めているのか、どちらかまったくわからない。早く終わらせて楽になりたいという気持ちと、早く終わらせたからってなんにも楽になんてならない分かりきった現状が、八方塞がりというか、孤立無援というか、登場人物なんてほとんどいないのに、四面楚歌というか。LINEというよりも機械そのものがとまったかのように、連絡なんて途絶えていたはずなのに、お互い夜型なせいか夜中になって連絡が来て、朝も5時なのにLINEが少しだけ続いた。雨が降りしきって、明日の朝にはやんでいるかな、と思う。しりあがり寿の方舟を思い出す。珍しく爆発しない世界終末系作品だった。 ■明日仕事いやだな〜仕事になるかな〜と同時にこんな、直に三十路になる男が恋愛で職務怠慢って社会人失格だと頭を過るけど、社会人合格したいなんて思ったこと無いし、社会が自分に合わせろって思ってる。今の所、この恋愛にケリをつけてしまうと、失うものがいくつかある。車で夜の首都高を走ったり羽田空港のまばゆい立体駐車場を両サイドに見れなくなったり、鶴見つばさ橋を通れなくなったり、閉店間際のアクアシティにいけなくなったり、周りの運転に苛立つ相手が見れなくなったりする。かけがえのなく、愛着だけで成り立っているものばかりで、その時間に実用性や利益というものは一切無い、まさに恋愛ごと。同時に、自分が失う時間もあれば、相手だってその時間を失うということに思いを馳せる、自分のいなくなった生活を、少しくらいは寂しく思うだろうか?(魚喃キリコのstrawberry shortcakesではホテトル嬢が片思いの相手(菊池)に居酒屋で、「あたしが死んだら泣く?」→「あんたが泣いてくれるんだったら、あたしいくらでも生きれる」という告白のシーンがあって、あれは良かった。あの漫画すごい好き。悲しませるために死ぬのではなく、悲しませないために生きていく。そして最後のモノローグには(神様、あなたなんてほんとはいない。あたしはこんなふうに、菊池を手に入れるのだ)で終わる。手に入れる労力よりも、実際は手に入らない負担のほうがずっとキツい。)明日は会社で年に2回ある面談の下半期の1回がある、そのときに会社をやめることを伝えようと思っている。人生は恋愛ほど深刻ではないから、ひとまずどうにかなればそれでいい。
2019-3/7.THU ■映画「女王陛下のお気に入り」
随所に織り込まれたギミックはすごくエンタメという感じ。白黒の目を惹く衣装のいい意味での違和感や、メイクの薄い女性たちと対象的な厚化粧の男性たちはよしながふみの「大奥」のような男女逆転になっている。典型的な権力にまつわる謀略のあと、切ない愛や後悔のような感情の動きを実感することが、決して重くなりすぎない楽しさがある。何よりも全体を支配する高級な画面が良い。タイトルに表示される「THE FAVORITE」の文字組みの重厚感の基調と、その重厚感の中に18世紀のヨーロッパを現代から観たときの滑稽さのバランスも素晴らしい。下品さや不潔さ、そういったものを包括し、なお圧倒する人間の生み出す美意識がこのタイトルロゴに含まれている。普通だったら考えもしないような絶望的な残酷さと、どうしようもなく趣向を凝らした華美な装飾は、なんだか行き過ぎたものとして似ている部分がある。
■エマ・ストーンのころころ変わる表情の愛らしさ、若さと貪欲さ、オリヴィア・コールマンの精神的な不安定さを表現した巧みさ、何よりもレイチェル・ワイズの表現する奥深さ、複雑さが素晴らしい。よくある権力争いを描いたその先の虚無感というものがあまりに切なく描かれてしまう作品は個人的には少し違和感がある。でも、この映画のラストシーンのただこれからも続いていく不穏さ、含みのある長回しは過度な悲壮ではなくどうしようもない人間の欲望と過ちを正しく描いたシークエンスとして素晴らしい。地位や権力や富や名声というものが、自己選択や意志というよりも時代的に極めて選民的なものであるという現実と、それを手にする人間たちの視野狭窄などからくる、その後の虚無感や後悔、生き方への疑念、そしてそれを観た現代の観客の俯瞰的で内省的な視点がすごく明らかになる。エンドロールの文字の美しさも必見。
2019-3/3.SUN ■まさかの3日連続で会うことに。体を動かしたいとかでオートテニスに。バドミントンばっかりやってたから手首で打たないテニスをやっていると手首を壊しそうになる。 ■37歳のDが、いつも車移動で年のことも考えてもう少し体を動かさなきゃ、と言っていたから「歩くことを増やしたら?」と言った。「免許返納しようかな」「極端すぎ」「そうだね、迎えにいけなくなるな」という会話の流れ、別に自分のことを特別に思ってるわけでもないし、冗談を絡めた当然の流れで、自分はそれに対して何かを含ませて胸にできるだけ留めないようにする。 ■カーステレオを変えてハイレゾが再生できるという話の流れでハイレゾの音源がほしいというDの言葉を聞いて「(ハイレゾって物理音源あるっけ)」と思いつつ夜の代官山蔦屋書店は行きたいので行くことを止めなかった。新宿から渋谷を通る際に自分の母校が見えた。「あれ、母校だよ」と言ったら「○○(名前)って知ってる?」と言われて、嫌な予感が一息に胸に流れ込む。その人は若い男の子で、多分こっち側の人間だと思った。
「知り合い?」
「うん」
「こっちの子だよね」
「そうそう」
「元彼?」
「あ〜、そういうんじゃないよ」
「知ってる子かな〜?同級生にはいないけど、いくつの子?」
「26だったかな」
「会ってみたら?多分話あうよ。デザイン関係だし。」
「最近もよくあうの?」
「会ってるよ」
■と、いうような内容をそれとなくもっと断片的な会話の中で少しずつ訊いた。その子とDが今でも会っていて、セフレだろうとなんだろうとどうでもいい、重要なのは、自分の生活圏内とは言わなくても交友関係の中で、後輩という位置づけでとてもリアルにその存在が想像しやすいということで、自分にとってはそれがとても気持ちを重くする(そもそも「○○(名前)って知ってる?」と名前を出された時点でかなり面倒、Dとの間に、自分が知っている可能性がある、或いはその相手が自分を知っている可能性のある、誰かの名前を知りたくない)。自分が同性愛の恋愛の領域に関してすごく良いなと思っているのは、そう簡単に自分の恋愛以外での人間関係や交友関係に恋人になる人間が関わってこないということだった、ずっとそう。恋愛と交友関係は別物で、自分にとって同性愛者は恋愛相手以外には必要なかった。友人はいまいるだけで十分で、Dの軽く言った「仲良くやれそうだよ、会ってみたら?」という軽口がものすごく面倒だった。もちろんDだってこちらに対して恋愛の相手としての紹介をしたわけじゃないことはわかっていた。でも、自分は友人がほしいなんて一言も言ってないし、Dのことだって末永くやっていける友人だと思ったことなんて、本当は一秒も無かった。そもそも、相手のことを知ろうというのは恋愛という動機があるからこそそのパワーがあるのであって、今から気が合うかどうかも分からない友人になれるかどうかもわからない新しい登場人物に、そのパワーは割けない。今の自分には。自然に職場にいる中で知る機会があるのはいいんだけど、なんていうか、友人になれるかどうかもわからないのにわざわざ限られた時間を削って会う相手に、その体力がない。 ■例えば、Dにフラれたところでそこだけでその世界は幕を閉じるということがとにかく重要だった。その子が介入とまでは行かないにしろ、Dと自分以外のところに共通の生活圏の人間がいるということが、正直、めちゃくちゃクソかったるい。ほんと、こんなの自分の問題で、人にいっても恐らく全然理解してもらえないんだろうけど、自分にとって恋愛って、本当に相手と自分との二人きりで行われる閉じたものだった。例えばDとその子が普通に友人だったとして、それはそれで最悪で、自分が例えばDに告白して、それをその子に話したとしたら、と思うだけで面倒さクソマックス。自分の同性愛者としての面を、自分以外の人間に知られるというのは、恥とかそういう意味ではなく、少しでも自分の生活に影響を及ぼす可能性があるというだけで、ほんとう面倒。 ■なんていうのかな、自分の全く知らない相手にDが「この前友達と思ってたやつに告白されちゃって困ったよ〜」と言われるのは全く問題にならない。そのくらい全然話してくれたって構わないし、そういう友人がいるのはすごく良いことだと思う、それがまったく自分の想像もつかない人間ならば。でももう違う、その子が母校の、自分もよく知っている教室にいる姿が想像できるということが、その子が、例えば学校の集まりで名前だけでも登場する可能性があるというだけで、それは自分の生活に入り込んでくるということとなんら変わりない。 ■Dのことを嫌いになったわけじゃないのに、正直ちょっと面倒。なんにも自分の今までの人生と関係ない人が良い。面倒なのは自分で、悪いのも自分。なんだかな。もちろんその子はなんにも悪くない、悪いという言い方すらその子に失礼なくらいその子は関係なくて、むしろ問題があるのは自分の性格。でももうそんなんならその子と会っちゃって友人になったほうがまし。絶対ムリだけど。ていうかその子と付き合っててくれて良い、自分はもうさっさと幕引きしたいんです…。 ■というわけなので、あといくつかの自分の役目を果たしたら、ちょっと踏ん切りをつけてしまってもいいかな。ハイレゾ関係に疎いDのために、ハイレゾの楽曲を自分がいくつかピックアップしてUSBに入れて、あの白い高級車でその曲を聴いてみる。自分のひとまずの役目はそこまで。友人はいらないので。もうそろそろかな。それでも切なさに泣いたりするんだろう、とても面倒で、とても自分らしい。Dの部屋の改装を見に行く話も、犬を飼ったら散歩に行く話も、別に叶わなくったって構わない。恋人としてそこにいる以外で、自分はDの側でそれらを果たす意味は(あんまり)無い。
2019-3/2.SAT ■何故か2日連続で会った。夜も遅くなって横浜のほうにいってご飯を食べた。夜景が綺麗で夜景とは関係ない二人でエスニック料理を食べていた。 ■アクアシティのスタバはすでに閉まっていてドライブがてらコーヒーを探し回った。週末金曜の芝浦の高速前のSAは車好きが集まって自販機にいくことすら無理だったり、人並みに逆らって東京シティエアターミナルに行ってみたり、なかなかコーヒーが見つからずに「今日はコーヒー運がなかった」といったら「俺も」と言っていた。結局ファミマがあったからファミマでコーヒーを買って車の中で、日本人らしく冬が好きとか夏が好きとかいう話をした。向こうは夏が好きで自分は冬が好きだった、冬は屋内と屋外の温度差で体温調節が面倒とのことだった。そんなことはどうでもよかった。夏になっても二人が会い続けている確信は無くて、これから夏が来るのにまるで過去の話をしているような気持ちだった。今まで一緒にいる時間をすごく大事にしようと思っていたはずなのに、いつの間にか寝てしまっていて、「起きた?」と目が覚めてから聞かれて安心感に泣きそうになった。 ■最近はなんとなく停滞に似ている、でもすごく重要なのは、友人でいることだって努力が必要で、恋人かどうかとは関係ない。
2019-3/1.FRI
■VISVIMの運営をしているキュビズムが出した雑誌『Subsequence』、実物をみるまで買う気はなかったのに青山ブックセンターにいったら260mm x 372mmの大判サイズでかわいかったので買ってしまった。
2019-2/28.THU ■一週間ぶりくらいに会って、適当にご飯を食べて、何時も通り適当にドライブして帰った。いつもよりも少しだけ早い帰宅に「もう帰りかぁ」とつぶやいたら少しだけ車を走らせてくれた。少しも自分の思い通りにはならない連続で、諦めるよりも緩慢な受け入れ方をしていたと思ったのに、こんなふうに自分の言葉で少しだけ何かが変わるってこともあるんだなと、不思議な気持ちになった。すごく簡素だったけどそういう収穫があって、でも自分のことをきっと何も変えない。
2019-2/24.SUN ■台湾、楽しかった。一緒にいったのは友人とその旦那さん、その友人夫妻の友人、という3人。友人以外の2人はほとんど話したことなかったんだけどみんな宿泊施設の使い方もキレイだったし常識的で何から何まで一人でしてしまえる人たち。誰かに何かを頼ったりせずに必要なことは自分でやってしまえる、なんていうか、主体性があって自立心もあって育ちがいいんだと思った。なんでもとりあえずやってみよう、というタイプで、できないとか興味ない、っていうのが海外旅行だと若干物足りない部分があるから、あれ食べてみようとか、ここの道を通ってみようというところがすごく素敵だなと思った。台南がすごくよくて、台北のような中国的都会というよりも少し田舎で、町並みのレトロさが可愛らしかった。町の中に日本人建築家の坂茂の美術館が3月オープンで入れなかったものの建物は見れてよかった。 ■自分の大好きな友人と、泊りがけの旅行というのが自分にとっては最高にいい思い出。朝から夜まで一緒で、好きな人と一緒にいれるというのが、自分にとってこの上なく嬉しかった。何より、そんなに好きになれる友人が、恋愛感情ではなく、どこまでも尊敬と人柄的な魅力からくるもので、そんな素敵な友人がいるという誇りみたいなものがある。
2019-2/23.SAT ■台北のいくつかの書店を巡って、台湾でなくても買える本と、中国人とイタリア人による雑誌など、何冊か買ってしまった。 Wolfgang Tillmansの「The Cars」
GENDA#2
Justified #5
MAX LAMB
あと台湾版BIG ISSUEの週刊編集、この新聞形式の紙媒体のことはよくわからないけど恐らくBIG ISSUEの新聞形式のもので台湾のBIG ISSUEの編集部が独自に出しているなにか?なのかな?
2019-2/16.SAT
■映画「RAW 少女のめざめ」観た。めちゃくちゃ良かった…。まずは食にまつまるそもそもの根源的なグロテスクさを、こんな身近に実感させられる、さらにそれが人肉であるということのシンプルさによってここまでショッキングなものとして映るという、肌が粟立つ感覚はもはや、体験に近いほど。食欲や本能という個人的なものを見ることで自分の人間としての嫌悪の対象を、再発見という意味としても感じられるようだった。自分が常日頃から感じているグルメ番組やSNSでの食事の写真だとか、そういうものに対する訝しさのようなもの、眼の前に存在する食材や料理に使われる肉の原点にある生命と、そして屠殺という部分に対する生易しい視点の甘さを改めて感じた。この映画が特に素晴らしかったのは、彼女の自身に対する本能に関してセンシティブな感情ばかりで切なさを描きすぎたりしなかったことや、彼女の人肉に対する欲望を食欲に置き換えて本能の普遍性を根拠に仕方ないなんて言い方をさせる映画ではなかったところ。異常性をもった女系のオカルトの寓話として描いているところがむしろ先進性を感じる。
■彼女のセンシティブさといったけど、それでもSNSを使って彼女の本性をさらけ出させた描写だとかはどうしようもなく悲しく残酷だった。というかこれだけのテーマを扱いながらも社会性という部分での残酷さが一番胸に突き刺さってしまうという現象も人間の本質に関わってくる奥深さがある。とにかく色々な部分が胸に刺さってしょうがない、姉との危なっかしい関係や、それまでの家族のどことない居心地の悪さのような部分、悲しみや不穏さ、それらがラストで回収されて赤と黒のタイトルにゴシックなBGMは素晴らしすぎた。
2019-2/15.FRI ■「肉くいいく?」と言われて肉を食っていつもどおりにドライブに。ドライブは何時も通り相手任せだったけど、どこに行きたいかと何回か聞かれてそのたびに東京から離れる道ばかりを伝えて、鎌倉や逗子のほうまで夜中のドライブに行った。初めて行った大黒パーキングエリアは、圧巻の空間だった。高速が螺旋のようにPAを取り巻き、台風の目のような場所に人が集まっていて、今まで観たことのないような風景だった。コーヒーを買うために来た大黒PAにはトーヨーベンディングのアドマイヤが3台設置されていて、二人で同時にブレンドのボタンを押してコーヒールンバを同時に流そうとした。タイミングが少し合わなくて自分が遅れてしまったことをあとから思い出して、ボタンを押す直前にタイミングを確認するために手でも握っとけばよかったとかいうどうしようもなく小賢しいことを考えてしまう。横浜方面から目黒はとても近く感じた。曲道が少なくてあっという間だった。最近車に乗っているときに市街や住宅街を走るときのほうが長く感じていたから、自分も杉並とかに住みたいと思った。 ■いくら会っても距離が近くなる気がしない。久々に、頑張っているつもりではあるんだけど。(相手はタバコを吸わないから、会っているときは一本もタバコを吸わない。家に帰ってタバコを吸いながら思いを馳せる感傷のための時間を、どうか自己陶酔にならないようにと念じている。たった一人の相手を思うときに相手のことを考えたりするのは自然だけど、相手の考えていることや相手が思っていることを想像し推し量って神経をすり減らせるのは、最近すごく無駄だなと思っている。単純なことを複雑に考えて悲しむ繊細さが、ただ面倒くさくなってきたのかもしれない。)
2019-2/13.WED ■仕事帰りにDの誕生日プレゼントを買いにいった。車検証を入れるホルダーを雑貨屋が作ったものらしく、普通はそのための専用のファイルも無いらしいからこれは便利なのかもしれない、自分には分からないんだけど。なんの他意もなく、相手に何かを受け取ってほしいという気持ちが起こるのはなぜか、いまでも分からない。物は物として、確かにそこに間違いなく好意はあるけど、その好意と物が比例しないことを祈る。「気持ちだけでも嬉しい」という言葉はとても良い、ただ、逆に「ものとしてそれが有用で嬉しい」ということもすごく良い。だって、匿名でだっていいとすら思ってる。
2019-2/11.MON
VEHICLE DOCUMENT HOLDER
Dが誕生日なので探していたら見つけたのでこれにしようか。車検証など車関係のものを入れるために作られたホルダー。自分には、これが便利なものなのかどうかわからないんだけど。

DS&DURGA - I don't know what
こちらも買いたかった(サイトもかわいい)。でもわからないですしね、香りの好みは。でも買いたい。かわいい。
■これを渡して、一体どうなるんだろう。これがなんの他意もなく「ここにいてくれてありがとう」という意味で伝わることが最良なのか、そもそもそれが分からない。でもとにかく思うのは、相手が自分のように重々しく思い出を引きずるようなタイプじゃないと良い、好きなものはただ使用し、そこに、自分の思いを感じ取って遠ざけられるのは怖い。ものはもの、そういう人が良い。自分はそうはなれないから、何もほしくない。(こういうところが重く面倒なんですよね)
2019-2/9.SAT ■今日もまたただご飯にいくだけの逢瀬でした。もちろんそれは自分にとって嬉しいことで、この先もこの時間を失いたくないと思ってる。ただ、自分たちの出会いはもちろん、やっぱり、恋愛の相手を探している出会いだったんじゃないかと思う。友人としてこの先も一緒にいるのなら、その明確さがほしい。彼にとって、自分は友人であるという確証めいたものは、彼にとってだけではなくお互いにとって絶対に必要なものだと、思ってるけど、そうじゃないのかな。 ■「連休中あそぶんだっけ?」金曜にきていたそのメッセージは明らかに自分にとっては、悲しい文章だった。主語は私達であるはずなのに、その述語はこちらだけの意思によるものかのようで、線で分断されたような気持ちになった。それとも本当に、”私達”の予定に対する簡潔な確認だったんだろうか。自分はただ一緒にいたいだけだからこそ、寧ろ相手はその気持ちにあぐらをかいてでも強引な物言いをしたって、自分にとってはなんの問題も無かったのに。 ■帰る前の会話で「どこか行きたいところある?」なんて聞かれて、でもそこにどんな場所を指定するにしたって、自分の意志が相手に伝わっていなければ、いつまでたっても自分の独り相撲にしかならない。「首都高を走りたい」「トーヨーヴェンディングの珈琲の自販機にいきたい」「家に行きたい」その全て、主語が自分だけなら、なんの喜びも幸福もそこには存在しないじゃないですか。二人でいくのなら、主語はいつだって「私達」であるべきなんだから。 ■雪がやめば会おうか、という話もしていたっけ。雪は落ち着いてからあった。でも自分は雪が好きだから、雪の中で会いたかった。東京の人たちは年に1,2度のためにタイヤの交換まではしないから、雪が会えない理由になり得るのかと思った。それもちょっと違うか、これは単純に、二人の距離の問題だ。
2019-2/7.THU
■映画「ゴッズ・オウン・カントリー」をシネマート新宿で。
寂れた大地にある牧場を年老いた家族と営む青年が、季節労働者として雇い入れた青年と恋に落ちる話。
■過去の出来事で心に傷を追った人が感情の起伏を抑えるというドラマチックさよりも、感情を閉ざすことを選択するよりも自然になってしまった彼の生き様がよっぽど身につまされてしまう。田舎がどれだけ面積があろうと、世界や視野の広さとは無関係で、そこで何かを選択できるようなわけではなく、泥に足をとられるような拘束となってどん詰まりになってしまうのはどこの国でも遍くみられる光景だと思う、何より、地理的な環境と家庭環境の先のなさは重なることは多い。愛がないわけではないあの環境下で、だけどそれをもはや伝える性格ではないあの親子において、まず描写される酔いつぶれて帰って来て、そのまま外で倒れるように寝てしまう息子の行き詰まった姿はそんな環境を克明に捉えている。 ■神々のたそがれやニーチェの馬やペドロ・コスタの作品のような、現代の先進国のように娯楽に満ちた環境からは想像ができない極限的な環境での、”生きる”ということを原初的に突き詰めた作品の文学性もあり、老親のいる若年者の社会的な問題も含み、重くなりそうなテーマを併せ持ちながら恋愛における喜びや悲しみは普遍で、愛しく、尊い。この映画における全てのシーンは俳優自らが行ったらしく、動物の解体や小便も俳優の行為とのこと(パンフレット)。子羊の解体を正面から映し、その毛皮を生きながらえた子羊に着せるというシーンの描写がめちゃくちゃ見事。3,4日のあの中で生まれて息をしていない子羊を懸命に蘇生させ、手づから暖め、そして羊たちのいる環境に帰す、という一連の出来事を主人公たちと並行に映し出し、ゲオルグの魅力をこれでもかと表現している。愛する他ない彼の生命力、献身、優しさを打ち出しているのがまずこの映画の成功で、「アデル、ブルーは熱い色」や「君の名前で僕を呼んで」の同性愛でありつつ普遍的な恋愛として観ることができるというよりもむしろゲオルグの魅力的な人物像によって多くの人にとっつきやすい作品に思えた。 ■寒々しい環境と彼らの仕事柄の不潔さや性行為の動物的な描写、嘔吐シーンや排泄シーンによる人間ならではの汚濁の描き方がすごく好きだった。そもそも、食べることは排泄に繋がるし取り入れることは排出することに直接的につながっているという意味では秘すべき行為だと思う。人間の根源にある行為はとても生々しく、繊細で私的なことだ。主人公、ジョニーはまさに食べることの根源を生業としていて、生と死に近く、なんだかこじつけかもしれないけど、排泄や嘔吐などが、なぜかとても生命活動の本質としてこの映画にとって必要なものだと思える。それに、温度の表現も良かった。寒々しく侘しいあの場所における衣装もまた良い。摩擦による暖かさや肌に触れてじんわりと伝わる人の熱、父の入浴のシーンやアイロンをかけているときにその服で顔を覆う祖母のシーンなど、とにかくそこに存在する暖かさが何より良い。この映画がただ風の冷たさをを恋愛だけが救ってしまうのではなく、家によって、服によって、帰る場所がまさに彼らにとっての恋愛の着地点として存在する救いが、ラストシーンを更に心に平穏をもたらしている。
2019-2/6.WED ■ヒックとドラゴン2みた。
結構2のほうがいいって人多いのに自分は1のほうが好きでした。おそらくもう主人公は立派になりつつある青年で、多少まだ善意を信じた愚かさがあるだけで可愛げがある。だからもう1のときにみた弱さをユーモアでカバーする男の子ではなかった。いい、これで正しいはず。
2019-2/5.TUE ■ヒックとドラゴン観た。
3枚目というキャラクターの魅力がめちゃくちゃ詰まった一作。もちろんドラゴンの猫のような可愛さと犬のような素直さ、そしてドラゴンとしてのかっこよさは言わずもがな。だけど主人公の男の子、ヒックの柔らかな、あの柔軟な魅力は素晴らしい。特にあのユーモアのジョークをどんな時にだって言えるヒックはまさに欧米のキャラクター独特の靭やかさがある。勇敢さや逞しさは決して全ての人間が持ち合わせるものでもないし、辛い日常に対する持たざる者の武器には必ずしもなりえない。必要なのは、悲しいときや負けそうなときに、それをユーモアでどう受け流すかだ。更に、モノローグでいう「この島の住人は頑固で味気ない」というバイキングたちと対比される主人公の造形がそのまま人間としての強さの理にかなっている。画作りもまた…。とにかく好奇心をくすぐられる島の描写もさることながら要所要所で見せる構成の楽しげな感じは一体どういうことなの…。宵闇の村を隠れて進むヒックとドラゴン、島を俯瞰する構図、雲に隠れる巨大ドラゴンの魅せ方、その全てが豊かで魅力的。
2019-2/3.SUN
■昨日、連絡が来ていたのに自分が気づけなくて、今日という予定だったんだけど、昼過ぎに送ったLINEはなかなか返信が来なくて、相手は仕事で17時に返信が返ってきた。日曜だから、無条件にただ会いたいだけの気持ちでいて、諦めつつ17時にきた「どうする?」というメッセージの返し方は、決まっているはずなのにうまく入力できない。「会えたら会いたいけど仕事忙しかった今度にしよっか」と送ったんだけど、それも正解なのかどうか判断がつかない。「いつでもええよ」という返信も、喜んでいいのか、どうか。LINEがきらいだという気持ちと、LINEを使わないと相手との連絡が取れないという状態が自分にすごく負荷をかけている。(○○が嫌いだけど〜しないといけない、という不本意な状態を指す慣用句みたいなものってなかったっけ。冷静を欠いているときにうまい言葉が見つからないとすごく不安になる。自分の無知が自分の感情や状態を言葉に落とし込めないことはすごく不安定な状態で、自分の感情なのに、その自分自身が、無能で、文章を書こうとしても、曖昧な言葉に逃げてしまう。言葉は曖昧だと意味がなくなる、曖昧な言葉は結局何も言っていないのと一緒で、文末に”どうしようもない””やりきれない””上手く言えない”なんてのはすごく、価値がない)
■現在の時刻は17:42、部屋の電気をつけてしまうと途端に夜になってしまうのでまだ電気をつけていない。夜は会ってもいないのにすでに別れたあとのようで恐ろしい。 ■…1:37帰宅。
結局会って、オートテニスとかいう打ちっぱなしのテニスに。体を動かしている姿が新鮮なことと、自分の体の動きが相手には見えているという気恥ずかしさが面白かった。ファミレスで適当にご飯を食べて、会話をした。花粉症のことや、珈琲の飲み過ぎで胃が痛くなったりはしないか、など。「さすがに0時過ぎて家について珈琲は飲まないよ、最近はほうじ茶をのんでる」って言ってた。
■新車はどうみても名前を聞いても車幅をみても高級車で、でもそれはやっぱり自分には全く関係のないこと。例えば自分が婚活してたらそれが相手を測る要素の一つになるのかもしれないけど、自分は自分の生活を一人で養っていかないといけないから、なんだか普通に、しっかりした車を持っている経済状況が羨ましいと思ってしまった。羨ましいし、そんなことに嫉妬してしまいそうなほど、自分の仕事が自分の生活の糊口をしのぐ程度しか稼げていない現実が、すごく悲しい。それでも車にのると、普段みない速度で、普段見ない景色が流れていくのは、いつも思った以上に楽しいから自分も単純にできてるなと思う。
レインボーブリッジを先週と同じように通行しようとして、車が多いことに気づいて道を反れる。
「レインボーブリッジ、なんか事故ってる?」
「調べてみたけど入り口で事故ったみたい」
先週も首都高をなんとなく流して、今日も似たようなことをしている。レインボーブリッジで事故があったとか、週末は走り屋みたいなのが多いだとか、カーナビが「この先ネズミ取りエリアです」なんて言ったりだとかまるで最近は夜のパトロールをしているよう。
■家まで送ってもらって、家について「寝れそう?」なんてメッセージが来ていても、そういう簡易的な好意にのぼせて自分が暴走しないように必死でおさえた。自分が眠れるかどうかを、遠い場所から確認してなんの意味があるんだろう。「風呂から上がってほうじ茶いれたよ、髪が乾かないから、まだ寝れないかな」そう送ったあとに、返信はこなくなった。今更、”送ってくれてありがとう”ってメッセージでもちゃんとお礼をすればよかった、と思って、返信をするタイイングを逃した。気づくのがいつも遅くなることが、自分の詰めの甘さだと思う。自分が相手に対して好感を得る機会を、少しずつ失っていって、その積み重ねが悲しい結果を招くんじゃないかと、好きな人と話したあとはいつもそんなことを思う。 ■もっとちゃんと、真摯にまっすぐ人を好きになりたい。なんでかわからない、自分があまりにしっかりできないせいで、自分が相手に求めてるものが依存先なのか、安心なのか、何もわからない。相手が何を求めてるのか分かれば、それを自分が差し出せるのかどうかで、もう、身の振り方も決めてしまうのに。
2019-2/2.SAT
HUNTERのレインブーツ。パインコーンという茶色がめちゃくちゃかわいかったけどサイズが無かったので…。他のレインコートもすごくかっこいい。あとビニールポンチョもめちゃくちゃかわいい。
2019-1/31.MON
■バレンシアガの2018のコレクションを追った写真集。しかも2018のAWのみ。すごい。この装丁だけでもうほしい。
2019-1/30.WED ■めちゃんこ大好きな友達と2月に台湾にいくことになって、そのメンバーで飲んだ。飲んだのはその友達夫妻のデザイン事務所で、旦那さんは学校が一緒だったけどそんなに話したことはなかった。でも会話の中で漫画家ではやまだないとが一番好きって言ってて内心では爆発するかと思った。「え!ぼくもです!なんで?!」って言ってしまった気がする。 ■なんでやまだないとの話になったか全然思い出せないくらい興奮した。なんでだっけ!あ!おもいだした!その旦那さんが佐賀出身で佐賀出身の漫画家でやまだないとの名前をあげて「やまだないと一番くらい好きです!」っていったら相手も「漫画家でやまだないとが一番好き」っていったんだ。やべーな。最高。 ■友達の作るものやセンスが大好きでもちろん旦那さんのデザインの仕事も大好きなので、自分が未だに写真をパシャパシャ適当に撮ってるのは、その友達夫婦が自分の写真を好きって言ってくれてるから。それもまた謎。「君の撮る写真がすき」って面と向かって言われて嬉しかったけどやまだないとがお互いめちゃくちゃ好きなのがわかったことのほうが興奮した。
2019-1/29.MON ■土曜のこと思い出しながら 夜に喫茶店に入ってなんとなしに会話した。Dがいま住んでいるのは持っているマンションで、今年そのマンション内で違う部屋に移動するらしい。「寝室のドアをガラス張りにしたい、一部分はドアで、その他の場所と見分けがつかないような、そうするとフレームが細すぎて強度が持たない」「ドアにするなら、ただのフレーム部分とは幅が変わってくるよね」「ここにヒンジがつくから幅をそこにあわせないといけない」半地下のような空間をいま改装中で寝室のドアをどうするか、壁紙をどうするか、そういう話をよくされる。パーツの名前と想像しているものが符号するかどうか曖昧で、ヒンジって蝶番だっけ、と思いつつ蝶番とは言えなかった。もし違っていたら自分の無知のせいで、この会話の相手に自分が適切でないと思われるのは悲しいと思ったから。喫茶店の窓枠を観ながらここはしっかり作られてる、なんて話した。「改装が終わったら、ようやくラブラドールかな」「そっか、ようやく飼うんだ」出会った頃にラブラドールをいつか絶対に飼いたいと言っていたことを思い出しながら、活き活きと話すその姿が、まるで年上かのように思えずに眩しいし、羨ましい。その、それらの話が、今まで生きてきた中で一番と言ってもいいくらいにつらい、自分がそこにいる未来が想像できないせいで、芯から凍えるような気持ちでその話をしている。 ■喫茶店から出て車に乗って、どこかに向かう、会話が起こったり、失われたりする車内で、できれば会話の無い空気も相手が望むものであればいいなと思った。いつも車移動をしているDであれば、夜の風景は大して珍しいものではないんだろう、自分は目まぐるしく変わる風景や、カーナビの地図と実際の走っている状況を馬鹿みたいに、物珍しそうに見比べたりした。広がる東京の夜景はあまりに圧倒的で、美しく、衝撃だった、こんな特別な光景を二人で観ているのに、二人の関係はなんら特別なものではないなんて、不自然で、ぜんぜん、信じられなかった。 ■いま乗っている車は代車で、翌日に新車を引き取りにいくといっていた。代車のサスペンションやショックやブッシュだとか、色々説明してくれたけど全然わからなかった。 夜景の、高いビルの多くは天辺に赤い灯がついていて、自分はそれが航空障害灯という名前で、航空法によって60メートル以上の建築物には大体とりつけられているということを知っている。だけど「あの赤い光って航空障害灯っていうんだっけ」なんて白々しく、意味もない豆知識を披露して「そうなんだ」なんて生返事を受け取った。相手が知っていることと自分が知っていることは全く別のことで、相手は行動や生活に伴う身の回りのことをよく知っていて、なんとなく自分にはそれがすごく正しいことに思えた、その分じぶんの知識は全く役に立たない雑学だらけで、航空障害灯も、珈琲の酸味を”明るい酸味”と表現する珈琲の会社があることも、すごく意味がないことに思えた。高速を降りて、夢から覚めるような気持ちになる、昔読んだ絵本の、真夜中に布団の中に潜り込むと楽しい場所につながっていて、 帰って、そのまま布団で眠り、朝が来て、生活にもどる、そんな話を思い出す。同時に、読後の切ない気持ちと同じように、胸が苦しい。家の近くに送ってもらって、その優しさはどういう意味なのか家に帰ってまた考えてしまうんだろうな、「いつも送ってくれてありがとう、またね」その”また”に含まれる切実さがどれほどのものか相手は知らない、知ってほしくもない、どうか言葉に重みなんて発生しないようにと願う。 ■ところでアマプラで「クワイエットプレイス」観た。エミリー・ブラントはどんどんメジャーで素晴らしい位置に邁進している。設定自体がどうのというよりはこういったジャンル映画における舞台装置としてのクリーチャーはもうどうだっていい。ただ、ただラストが素晴らしすぎて…エミリー・ブラントのあの表情、それまでに起こったたくさんの出来事が鮮やかな復讐心として昇華される。とてもつらいけど健康的だ…
2019-1/28.MON ■一緒に過ごしていたときは何気ない時間だったと思っていたのに、丸一日たって、かけがえのない時間だったと思う。だけどいつもどおり、どうしようもなく取り返しのつかない時間だったとも思う。会えない時間も大事だということに対して、会っている時間の、どうしようもなく奇跡のような時間を、浪費しているような感覚。仕事を終えて家に帰って、いつも聞いている音楽やyoutubeで動画を再生して、どこか気持ちが落ち着いていく、ただ、渇いている状態は変わらない。脳天気な音楽であればあるほど冴えていくような脳内が冴えたまま想うことを避けていく。感傷的な状態のまま感傷的な音楽を聞いてしまったら、そのままどこに行くのか見当もつかない、怖くて考えたくもない。 きっと例えば土曜に会ったのが昼間で、ご飯を食べて適当に遊んでさようならだったら、昼間の色のまま過ぎていたと思う。夜は、あまりに親密すぎる。何かに許されているような気持ちになってしまった。分不相応だった。どうしようもなく手の届きそうな距離が、闇に紛れて誤魔化された。陽光の中で歩いていたら、もっとその距離感がはっきりと視認できたし、はっきりと二人の距離感に納得していたと思うのに。夜が、距離を曖昧にしてしまったので。さようならが、明確な分断になってしまった。
2019-1/26.SAT ■Dに誘われて何時も通り二子玉まで行って迎えに来てもらって適当にご飯食べて首都高からレインボーブリッジまで適当に流してもらって帰ってきた。相手と自分との間に、多分、全然知らないことだらけで、会話の断片から少しずつ輪郭をはっきりさせているような状態が出会った頃から変わっていない。Dのちょっと怠そうな話し方とそれを注意深く聞いている自分に温度差があるようで傍から見たら滑稽なのかもしれない。Dの相手に対する気の許し方は上手で、基本的に気を許そうとしても全てをさらけ出すこともできず中途半端に端々に思いをのせようとしてしまう自分では恐らく経験が違うんだと思う、自分は未だに適当な人に対する受け答えは上手で、興味のある相手に対してはすぐにぎこちなくなってしまう。相手に対する自由さは、単純に相手に対する余裕だろうか。自分の場合は、相手に自由な自分を見せるほどそれがわがままに映ってしまうんじゃないかとすぐに背筋をのばしてしまう。自分らしくあることについての正否はそう単純ではない。でも自分らしくあるということは、やはり本質的なことだとも思う。誤解しがちなのは面倒くさく怠惰でわがままなことを自分らしさだとしてしまうことで、決して取り繕い自分をよく見せることが偽りではないということ。そして、わかりやすいということは、相手に対して正直であるということに違いなく、自分にはそれが難しい。難しいと思って逃げてるんだけど、ほんとは。 レインボーブリッジにしろ首都高を走ったときの東京タワーとの距離感にしろ、先週いったよみうりランドに併設しているスーパー銭湯から見える観覧車にしろ、圧倒的に巨大なものを目の前にしたときに自分のうちに起こるのは、そのものがさらに圧倒的なゴジラや宇宙船に壊される妄想だった。なにかすごく検討もつかないような途方もない巨大なものもいつか朽ちてほしいと思うけど、きっと絶え間なく流動的ないきもののような巨大都市の場合、増改築が繰り返されて明確な終末は来ないんだろうと思う。下北沢の駅もある意味ですごく惰性的に移り変わっていて、少し見ない間にいつの間にか南口が無くなってしまうことが突如起こったハプニングではなかったように、東京もきっとそうなんだろうと思う、目立った巨大なシンボルが消滅することはなかなか無く、寧ろシンボルが消滅したとしてもなにかが代替していくものなんだろう。自分が終末系の映画やゲームが好きなのは終わりが来るというのがいつだって安堵につながっているからだろうなと思う。終わりが無いことはすごく不安になる。そういえば、自分は不老不死になりたいと思っていて、だけどつまるところそれって地球の消滅までずっと見ていたいという気持ちが強く、不老不死になって何かがしたいということよりも何か大きな存在に消滅から来る物語の収束を仮託し、安堵を求めているんだろうなと思った。自分の終わりはすごく呆気なくすごく矮小なことでしかないので、自分にない物語性を強大な何かに仮託している。もはやそれって自分が何かを創造しそれを後世に残すようなエネルギーの無いことの裏返しにも思える、そうやってネガティブかつセンシティブな思いは、やはり物語というものに、憧れている。
2019-1/25.FRI
■仕事終わりに「ミスターガラス」を観た。シャマランは最高。シャマラン独特のシャマランルールの閉じた世界は、自分は大好きでしょうがない。シャマランのルールが適用される世界はすごく狭く感じられつつもその中に存在するキャラクターの善悪や感情の動きの純真さがすごく明確なものになる。もはや泣ける、シャマランの世界で動かされるキャラクターには否応なく涙が出る。そしてこんな正義と悪を目の当たりにできるなんて嬉しい。現代の神話かよ。
■ビジュアルが一々かっこいい。エンディングに入り込む瞬間もかっこいいしポスターもかっこいい。でもやっぱり劇中のピンク…。 会社帰りに長年愛用し続けたMDRーCD900STが壊れてしまって途方にくれてしまった。TジョイPRINCE品川の映画館のロビーは、人が少ないとすごく良い侘しさがある。巨大シネコンという感じではないのが良い。
2019-1/18.FRI
■会社は有給で休んで、前から約束していたジブリ美術館に。ジブリの塗りについての企画展がやっていてすごく面白かった。セル画に細かく指示された色の指定番号、ああいう職人の環境の中のシステム化されたものを観るのはすごく楽しい。それに改めてジブリ独特な色の付け方も発見がある、布の質感や素材を色によって出す色調の工夫もすごく面白い。ジブリの雨にぬれた布のてかりや生地の厚さの表現って独特だよなー。書籍コーナーにおいてあった小説「木かげの家の小人たち」の小説の出だしの部分が素晴らしかった。空想の世界の肯定から始まる文章で、なんだかすごく胸につまってしまった。誰もが自分の中に空想の場所があり、そこには自分が決めた人しか立ち入ることは出来ない、というような文章があって、物語というのはまさにそれこそが存在意義であり、どこにも居場所がない人間の最後の砦になりうる。そして更に言うなればその自分だけの空想の世界をより良いものにするためにはたくさんの言葉を知り、語彙を身につけることにほかならない。実体の無い世界を装飾するのは言葉でしかないし、言葉を知り的確に表現する言葉はピントをあわせるようなものでもある。
その後吉祥寺をぶらぶらした。あまりにコンセプトがしっかりしまくってる建物があって、猫カフェらしいというそれだけで30分位ひやかしてみたり、そこから出て同じ通りにすぐにみつけた喫茶店でコーヒーを飲んだりした。最後にスーパー銭湯に。露天風呂に入り会話もせずにゆっくりしてマッサージを受けてご飯を食べて帰った。身に余るような幸せだと思ってしまった、なぜか幸せであることに不安を感じ閉じてしまう人(自分)もいるので、今日はこれからゲームでもして今日のことに深く感じ入ることはしない。良い思い出は良い思い出として決別して、散らかった部屋に帰ってきたので生活に戻ろう、今日あったことは生活ではない感じがする。 ■車での移動中、何度か二人の乗っている車に隕石が直撃することを思い浮かべては「しかしこんなことも、今思えばただの始まりに過ぎなかったのだ」というモノローグを入れ込んで、自分の幸福とそれ以上の巨大な宇宙の思惑を対比させて遊んだ。自分なんて、ものすごく面白いSFの序章に過ぎなくても良い。
2019-1/10.THU ■携帯がポケットに入っていることを忘れていて、そういえば返事が来ないことに一喜一憂していたんだっけ、と思った。携帯を見てみたらやっぱり返信は来ていなくて、忘れていたはずなのに返事が来ない携帯が今までポケットを占有していたことをそのときになって煩わしく感じた。 tumblrに流れてきたポストをダラダラと仕事中に見ていたら「低所得層が思ってる愛とか恋とかって性欲と支配欲だけ」なんて偉そうなことを書いた文章が目に入ってしまう。「本当の愛は相手の立場にもたって考えることだけど、それには最低限のお金と健康と誠実さが必要になる。」言いたいことをもっと適切に表現する方法はあるのに乱暴な言葉で目を惹かせないとこうしてネットには流れてこないという点と極論すぎる部分はあるにせよ、半分くらいは確かに正しい。ただ、今の自分がこの文章にある愛と恋との違いと根幹の経済的状況の関係は最も考えたくないことで、もっとも考えたくないことというのは、要するにそこに確実に自分が問題を抱えてるということにほかならない。そんなことを思いつつ部屋に帰って家の廊下の電球が切れているのに買い忘れていたことに気づいて、最近ずっと忘れ続けてるし、生活の貧しさを心の貧しさにしてはいけないので早く電球を買ってこなくちゃと思った。 ■来週末そういえば好きな相手と出かける予定がある。自分はカードの返済がまずいことになってるけど、新しい服を買う予定でいる。恐らくこの実らない恋が緩やかに、或いは自らの意思で終わったあとに、その服を見て色々と思い出すんだろう。そんなの自分をいたぶるようなことと変わらないのに率先して思い出づくりをして破滅に向かう、これはまさしく人間らしい生き方で、それでも人間である自分は、人間らしい自分らしさで生きていく。
2019-1/9.WED ■結局、もうしばらく恋愛は控えようと思いつつもこらえきれずに理由をつけて連絡してしまう。返信が来る安堵のために連絡している。なんだかそれがタバコを余分に2箱買うようなインスタントな安心感を得る行為だなと思う。依存に近いのかもしれない。 そういえば、相手のことを考えるというよりは最近久々の恋愛なために恋をしているな、という自覚を日に何度かしたりする。あぁ、自分は今恋をしている。という感じで。寒い日が続いていて余計にそう思うのかもしれない。
2019-12/31.MON ■31日はDと急遽深大寺に行き、蕎麦を。お互い人混みは苦手だし相手は車に乗っているしで初詣後の混み合う時間の前にプレ初詣を済ませた。特に、それ以外にこれといって何もなく、家について、同じベッドで寝て、そして翌日かえった。自分は砧公園を歩き、用賀を過ぎて結局電車にのることなく更に駒沢公園も過ぎて歩いて帰った。たっぷり寝たはずなのになれないベッドで寝た翌日、家についてまずしたいことは自分のベッドで横たわることだった。自分のベッドに横たわると自分の体からいつもと違う石鹸やシャンプーの匂いがして、それ自体ぜんぜん不快ではないけど、ただ、まだ自分の生活にもどっていない感じがする。それも含めて良いんだけど。 Dに何かを聞きたいときにそれが皮肉っぽく伝わってしまうことが怖くて、結局何も聞けなかった。テレビがなく、映画や小説やアニメなど娯楽の存在感がなくて、自分にとっての8割がそれらなのでその環境が自分には分からない。「いつも家でなにしてるの?」と聞きたかった、ただ自分もそれをただの好奇心としてのトーンで聞くことができるかもわからなかったし、Dが質問を冷笑的にうけとってしまうのも本意ではない。自分は相手に、一人でいるときにただ何を考えたりしてるのかを聞きたかっただけで、でもそんなとても個人的なことに踏み込んでしまうのもデリカシーレスな気がしたり、そんな本質を簡単に知ることができないこともわかっていて、すごく歯がゆい。ただ相手のことを知りたいだけだし、それは純粋に好意の表れであることは自分の中で明確なのに、自分の思いや気持ちが言葉にした瞬間、いきなり意味を変えて相手に伝わってしまうことがあるんじゃないかと怖くなる。でも本当は、その好意自体が相手と自分の間をとりなす通貨のようなもので、自分の好意を相手に悟らせた上でする会話が一番間違いのないものだということは分かっている。面倒くさいことに、自分がしたいのは相手に言葉で投げかけることの積み重ねで相手への好意を表現したいという自分にはできない芸当で、自分の不器用さが寂しい。
2018-12/21.FRI
■フミコさんとへレディタリーを観にいった!
■めちゃくちゃおもしろい。そもそも映像作品は内容のジャンルに限らず美しいものを撮る意思があり、そしてホラーももちろんそうだし恐怖というものがさらに美しさとの相性がよく人間の本能により近い感情だというのが良い。序盤のドールハウスに入り込むような導入も素晴らしいし、行くところまで行ったという感じのラストも最高。あと、もう巻き戻すことはできないどうしようもない過去のあるキャラクターは映画において星の数ほどいるけど、ここまで克明に、残酷に罪を意識させる描写ってほんとうに、悪魔的に呪わしいし、それをホラーが包括し進むべき道筋として存在するってのもホラーじゃなきゃありえない。すんばらしい。 ■映画がおわってフミコさんとフレッシュネスに。かわいいピンズをもらった上に自分の恋愛の話まで聞いてもらって、なんだか人に恋愛を話した経験が多分マジで数えるほどしかない上に今回は切実な状態の自分だったので気恥ずかしいやら嬉しいやら。自分は幸せものだ…。人に話せて、初めて自分がこの日、ほんとうに恋愛してるんだという実感が湧いた。もちろん好きになったことはわかっているんだけど。 ■へレディタリーはシネマサンシャイン池袋のシアター6というスクリーンでやっていて、雰囲気がすごく良い。池袋ってやっぱりすごくいい。
2018-12/8.SAT ■父の死亡保険金と生前最期の入院期間の保険金の請求のために必要な書類を取りに仙台に。入院したときにもらったはずの入院診療計画書(これ入院時の保険金をもらうためにちゃんと保管したほうが良い。父の入院した病院では他の領収書や死亡証明書が再発行の対象になっているのに対し入院診療計画書は再発行の対象ではないので病棟でコピーしてもらうしかなかった)と、保険金の受取人である祖母の印鑑証明書のため、病院と市役所に。役所は土日はやっていないので仙台駅前サービスセンターに。駅前だから近かったものの病院は2,5kmほどで歩くと30分前後かかった。街行く人々はコートの人もいればまだ本格的な冬の装いまでは行かない人もいたけど、歩いているとちらほらと雪が降ってきていて、今年の自分の初雪は東京ではなく仙台になったなとなんとなく思った。父が入院し、そして死んだ病院は自分の中では死のイメージになっていて、ここで今日もきっと人が死んだと思いながら病院に入っていったけど、出るときにすれ違った夫婦のお腹が大きくて、ここは死の場所ではなく、根本的には生かすための、生きるための場所だったんだと虚を突かれる思いで、ネガティブに考えがちな自分が恥ずかしい。 夜は、父の小中高、そして大学までの同級生たちや社会人になってからの友人などが30人以上集まって偲ぶ会をやった。煙草を吸いたくなって店の外に出ると夕方まではちらほらとしか降っていなかった雪が勢いを増していた。天候の中で雪が一番好きなので、寒くてもずっと座っていられると思った。21時前に店を出て東京に戻る。雪なんて当たり前に降っていなくて、コートも厚着といってもいいくらいだった。
2018-12/1.SAT ■ディズニーシーに行った。すっごく楽しかった。すっごく当たり前なことを言うと、ディズニーシー自体が巨大な一つのアトラクションで、園内にある一つのアトラクションの中で何かをするというよりはあの広い園内を歩くこと自体が探検のようで、次に何をするかの行動を決めることが楽しくて、何よりそれが体験という感じだった。決められた時間の中で次に何をするか、そのために距離を歩き目的地にいく、すごく楽しい。よかった〜。
2018-11/23.FRI ■人を好きになると孤独になり孤独になると小説読むようになる、一人のときのほうが充実してるから本は読まなくなるのに。おかしな話だ。 ■なんとなく思ったこととして、人よりもお金を持っていて安心感があるところはすごく長所だと思った。自分には全くお金の余裕どころか預金通帳には給与の振込があった翌日にほぼ無くなってしまっていて、その残りでやりくりするような生活なので、好きな人が安定しているというのは人の経済的な心配をしなくていい、という点でうれしい。だからといっておごってもらうことはしないしご飯を食べるときは割り勘だし、ただ、考える必要がないという点で心が少しだけ安定する。 ■精神安定剤みたいにラース・フォン・トリアーの「メランコリア」とジョン・マッデンの「女神の見えざる手」を見てる。
2018-11/22.THU ■父が東京に来たところに行っていた隠れたバーがあって、そこのお店の人に父が亡くなったことを伝えに行こうとここ数ヶ月考えていて、今日行こうと思っていた。矢先に好きな人から連絡。会った。 ■普通にファミレスでご飯を食べて夜23時に洗車、車なんて実家にいるとき以外全然乗らないので東京の車事情も全くわからないので深夜に洗車というのが車を持ってる人にとってふつうのコトだというのも知らなかった(晴れた日の昼間なんてもっての外らしい)。まだ数回しか会ってない中でやっぱり会えばやることはやっていたけど、今日はせずに帰る雰囲気だったらしく、帰り際に洗車に行っていい?という言葉が嬉しかった。 ■ファミレスで故意に自分が机の上にiPodを載せておいたので相手にiPodが何世代なのかを質問させるような流れになった。車のオーディオはiPodで聞いているとしたら自分の古いiPodClassicが繋げられるんじゃないかと。車の中でiPodつなげてみ?と言われて流した曲はEverything but the girlのBefore today、yanokamiの気球に乗って。telefon tel avivのFahrenheit Fair Enough、加藤登紀子の時には昔の話を。趣味の一致は見られなかったけど、相手は音大出身で、むしろ相手の趣味に潜っていきたい。 ■こうして思い出が増えていく、あとは泣きを見るのみ。しようのないことです。 ■ちなみに隠れたバーというのもめちゃくちゃ隠れていて店名で検索しても営業時間も店の場所も出てこなくて、逆にここまで情報隠せる!?というレベル。素敵な女性が2人でまわしていて高い。すごく高い。
2018-11/20.TUE ■大好きな友人から連絡があり、12月に東京ディズニーシーに行くことになった。以前飲んだときに自分が高校の頃に修学旅行のときに東京に向かう新幹線が人身事故で到着が何時間も遅れて、ディズニーランドに2,3時間しか滞在できなかったことを話して「今度行こうよ」と言ってくれたのが発端。ひとまずディズニー作品を見るぞ。 ■一緒にいく2人の友人のうちの一人がつい先日結婚をして、結婚式は親族のみで行ったために何もお祝いを渡すこともなく過ぎてしまっていたので、ディズニーシーに行ったときのもうひとりの友人となにかお祝いを渡そうという話になった。何を渡すかの話になって現金を直接渡すのもあまりに生々しいということでアマゾンギフトカードを渡そうということに。こういうときにいくら渡すかという相場がなんとなく3万くらいかとは思っていたけど、たった数人の大事な友人の結婚のお祝いだからもっとたくさん支払っても全然構わない、という気持ちだった。最初は一緒にお金を出す友人の想定する金額もわからなかったので「1,5000円ずつとかにする?」と聞いていたら「うーん、気持ち的にはもっと出したい」という話になって3万ずつ6万とも思ったけど結婚式の縁起も考えると6万より5万のほうがマナーに則っているので最終的に5万円分のギフトカードを渡すことにした。友達も同じことを考えていたようで結婚式でご祝儀も渡せなかったし、大事な友だちだしたくさんプレゼントしたいよね、と言われてすごく嬉しかった。とても嬉しかった。 ■その一緒に渡す友人がとても素敵だったのが、自分が1.5000円を提案したあとにもっとあげたいという流れになったあとで自分が「そうだよね、自分もなんとなくまずは低めで提案しようと思っていて」というなんだか変な保身めいた言い訳のようなことを言ったときに「わかるよ、最初は様子見しちゃうよね」と言ってくれたこと。素敵、そういうこと言ってくれる素敵な友人がいて嬉しい…。こういう気遣いが本当にしみる。
2018-11/13.TUE ■「キスからはじまるものがたり」を見てガチティーン向けのラブストーリーでなんかすげぇ、アメリカのティーンはこういう恋愛観でこういう恋愛を夢見ているのか、と思ったらあまりのセレブ主義感に衝撃。こりゃ対比としてのモブの容赦ないその他の映画が身につまされる訳だ(ウエルカムドールハウス・ゴーストワールド、ストーリーテリング)
2018-11/12.MON ■数年に一度の恋愛を楽しんでる時期なので社販でものすごいセンチメンタルメランコリーなものを注文した。2個も。36,000円。あたまおかしいのか?
2018-11/10.SAT ■はるか昔に読んだ「虐殺器官」がアニメ化されていることすら知らなかったのでネトフリで見つけてすぐに観た。この人の作品はハーモニーでもそうだったように、得体の知れない人間の内なる機能を設定にしたSFがすごく良い。虐殺器官のアニメはとにかく榊原良子の声が圧倒的にかっこよく、イノセンスでそうだったようにSFとの親和性が飛び抜けてる。あまりのかっこよさに何度も巻き戻して声を聞いた。
2018-11/4.SUN ■適当な一生会わないような相手と会って適当にちゃちゃっとヤることヤッて22時位に部屋を出て帰宅の途。新宿のほうで、喧騒から少し離れただけでこういう住宅街になってるんだと感慨深くあるきつつ、住宅街というだけの共通点で好きな相手のことを考えてしまう。ふとした団地に、ふとした隙間の階段の上がっていく先に、ありとあらゆる点において極小の共通点をみては、見当違いな場所からも好きな相手がいまどこにいるんだろう、と、粘着質なことを考えてしまう。 ■好きな相手、と言っても趣味が共通なわけでもなかったから、面白い映画を観て漫画を読んで、連絡を取りたいという相手ではなかった。ただ会いたいという理由で、会ったあとにセックスする、それがまさか空っぽな時間になるとは昔は思ってもみなかった。例えば相手の肌質が、家が、手が、肩が好きだという理由を本質的だと思ってはいるのに、それ以上のことを知らないのはすごく不自然だと思う。セックスをしても相手の好きな映画や音楽を知らない、知りたいと思っただろうか。知らないこともまた良いとさえ思ってる。ただ、会いたいと思いつつも連絡を取る気にはなれない、という不自然な気持ちがあって相手はいま何をしてるんだろう、と思ってるだけの今の時間をすごく自然に持っていて、このまま離れていくのはとても心地いいなと思ってる。相手と一緒にいて、無言の時間も多く、ただ黙って見ていたいと思った。 ■そうだ、いますごく腑に落ちた。相手のことを黙ってみていたい、それだけだった。
2018-11/2.FRI
■仕事終わりに「クレイジーリッチ」。すごく面白かった。旧態依然のハリウッドにおけるアジア人の描写、及び欧米人社会におけるアジア人への印象、というものを明確に意識した上で完全にぶっ放した映画。まず鮮烈にアジア人に突き刺さるプレタイトル、ミシェル・ヨーがホテルに到着したシーン。ここで単純にアジア人が実は大金持ちだった、というだけではなく、まずアジア人に対するイメージである、観光地でのうるささや迷惑行為のような部分もおさえるような要素としてあるのが子どもたちが雨にぬれてホテルのロビーの床を子どもたちが泥で汚し、しかしそれに対して母親が何も言わないという部分。ここで見えるのはこの映画がアジア人にも常識がある人はおおくてそれをくどくどとイメージ向上のために描写はしないぞ、という意思表明、逆に言うとそんなことは当たり前だし、むしろこの映画での面白みであるクレイジーなリッチというものを容赦なく叩きつける。とにかくこの映画がハリウッド、及び世界経済における白人の地位の安寧はもう長くはない、とでも言うようなクレイジーリッチっぷり、作品の方向性の明確さと質の高さを見せつける。プロデューサーであるニーナ・ジェイコブソンがnetflixの巨額オファーを断って劇場で観て欲しいというエピソードも嬉しい。
■アジア映画独特の手先の動きの美しさ、料理や麻雀のシーンもやはり美しく撮られてる。中国の映画でもよく料理のシーンは素晴らしく画になっていてアン・リー監督の映画での料理シーンはめちゃくちゃ大好きなんですけど、この映画における中国の家族主義的な部分も餃子をみんなで作るシーンにでていたり、いろいろな要素がしっかりと機能していて何を観ても面白い。ラストの麻雀もめちゃくちゃ良い。

■象徴的といえばアバンタイトルではエレノアの登場シーンとして素晴らしかったようにキャラクターの登場シーンがそのキャラクターをうまく表現する素晴らしいものばかり。すごく古典的な表現が多く、奇をてらわずに誰もが安心して見ることができるわかり易い表現。アストリッドのクレイジーリッチながら少女にかがんで目線を合わせて言葉をかけるシーン、ニックが冗談めかしてレイチェルのデザートを大口をあけて食べるシーン、レイチェルが大学の教授として学生たちに教鞭を振るうシーン、どれもこれも良い。
2018-10/31.WED ■久々にふっこさんと。日記を読んでくれているだけで嬉しいのに、嬉しいことばかり言ってくださって、もちろんその内容も嬉しかったけど、個人サイトということへの感動と共通の思いの強さが通じ合っていることが何より嬉しい。勝手にもはや仲間とか戦友という気持ちでいる。
■映画「早春」は思った以上に最高に面白くてびっくりした。軽妙さもあるのに一つ一つの出来事の執拗さも印象的だった。ラスト付近までのめちゃくちゃかわいい男の子のどうしようもなく愚かな行動を笑ってみていられたのに、向かう先の残酷さは、愚かさの代償としてはあまりに唐突。急に振り返ったら何もなかったかのようなラストで言葉がでない。そういうのも含めてめちゃくちゃおもしろかった。み終わった直後は「最高〜!」という気持ちでいたけど、あの主人公の男の子が青春の象徴だとして、女の子が何かの比喩だったとしても人の形でいる以上やっぱり血の鮮烈さはそれまでの笑いからふと現実に帰ったかのようだった、でもそれも含めてやっぱり良い…。
2018-10/29.MON
■どこのメガネを買おうかずっと迷ってる。画像はSAVILE ROWというブランドのリーディンググラス。軽そうな眼鏡が良いな。とにかく乱視用のメガネをまた作らなくては。

■美容室で読んだ雑誌[2nd]にあったgoldというブランドを知ってこのコートが欲しい…あとオーバーサイズのパーカーも。アメリカのビンテージ系、ワークウェアやミリタリーものは自分には似合わないし巷の、しかも妙にいい感じのオシャレ男子が着るものだと思いつつやっぱり欲しい。こういうガッツリアメカジなものはゴリゴリに着倒したい。
2018-10/27.SAT
■自分にしては珍しく土曜の夜に映画を見に行った(というか金曜に行くつもりが残業で行けなかった)。映画「若おかみは小学生!」、アニメ映画で絶賛されてると聞くと見に行かずにはいられない。泣ける泣けると聞いて泣く準備をしていったけど自分の泣きポイントとはズレていたせいかほろっとはきたもののそこまでは泣かなかった。もちろん泣ける=良いというわけではないし、この映画はすごく良かった。怒涛の展開という意識もなく過ぎていった90分ほどだったのにその内容はまるで24話のアニメシリーズでやるような内容が詰まっていて、脚本の上手さやもはや爽快感すらある場面のつなぎや展開の整然としたさまは圧巻。これは恐らくアニメでしか出来ないスピード感で情報量の多すぎる実写ではとても忙しく感じられたと思う。全てはおっこの成長や過去との対峙がテーマとしてありつつもそのための3つの柱、3組の客のエピソードはそれぞれきちんと濃密で、とても理論的なストーリーの流れではあるのに描写にはハッとさせられるようなことがとても多く、おっこの過呼吸のシーンやラストはギリギリと胸が、本当にそのままの意味で締め付けられる。まさにぎりぎりと。
■映画を見終わり23時、映画とは関係なくこの時間、新宿で一人、なんとなくやりきれない気持ちになってしまう、それ自体が東京に生きる人が誰でも感じる感傷で取り立ててどうするというような感情でもないのに、なんだか耐えられなくて適当な人と寝ようかなんて思いつつ、急に馬鹿げている感じがして、いつもとは違うルートで明治神宮まであるいて副都心線で帰宅した。投げやりな気持ちになって失敗するのは目に見えてる、ばかみたいなことをして翌朝におセンチな気持ちを語るのも悪くないけど、しばらくは黙って生きよう。
2018-10/18.THU
■これから何度だって書いてしまいそうだけど、宇多田と椎名林檎の「2時間だけのバカンス」の曲もさることながらPVが良い。壮大な宇宙を背景に至近距離でくっついているのに直にくる別れを連想させる構成が素晴らしくて泣きそうになる。圧倒的な宇宙なのに矮小な二人だけの世界の間にスケールの意味が失われる、二人の別れは二人にとっての世界の終わりのようで、結局、地球が終わろうと世界が終わろうと誰かとの別れがただ、とにかく終焉であり、最も悲しいという現実がまざまざと浮き上がる。だから慰められる。いま自分の隣に誰もいなくても、過去の別れで自分は一度終焉を迎えていて、その濃密な別れは、どうしようもなく豊かだった。過去好きだった、今でも好きな人はきっとだれかを好きで、でもそんなことも全て、豊かな人類の普遍の記憶の一つ、これからどれだけ長く地球が続いても、どれだけの人類がどれだけの人生を生きても、そんなありきたりなことが続いていく慰め。
2018-10/14.SUN
■IKEAのFÖREMÅL/フォーレモール
スウェーデンのガラス作家による「美しくて醜い」限定コレクション。燭台のついたアルミのトレイとボックスが欲しい。作家側からの提供素材かもしれないフィルム写真風の使用写真がめちゃくちゃかわいい。価格の問題かガラス作品は一つもない。
2018-10/13.SAT
■ナボコフのアーダの新装版、装丁が美しい。文庫が出てない作品かもしれない。単行本のために作られたデザインだろうと思いつつ文庫が出たら文庫で欲しい。中村恭子さんという画家の方が描いたオフリスというランを題材にした絵らしく、虫の造形のようですごく好み。
2018-10/9.TUE ■職場の若い女の子も自分と同じように宇多田のコンサートのチケットに申し込んでいて、当選発表があった6日のことを話した。お互いどちらも同じことを考えていて「すぐに連絡しようと思ったんですけど、自分が落ちていたら連絡を取ろうと思っていて、あたっていたので控えました(どちらかが落ちていたら申し訳ないから)」といっていて似てる人はそれだけで話しやすくて素晴らしいと思った。お互い別の日の横アリ。うれし〜。
2018-10/8.MON ■たまーに付き合ったり別れたりしつつ、でも自分はやっぱり、そんなに付き合うとか別れるとかやっぱり面倒だな。どうしていいかわからなくなる、恋愛したいと言いつつ自分が選んだわけでもない日に予定が入る、という状況が、本当にどうしようもなく苦手でしょうがないことは単純に性分で、ましてや一週間のうち平日は全て仕事という当たり前の状況のなか、コンスタントに誰かに会う、ということがどこまでいっても自分には無理だとわかりきってる。そして自分の最もヤバイところが結局お互い忙しいときに忙しい中、かろうじて二人の休みが偶然重なっても忙しいのなら一人で休んでたいとしか思えないところで、もうどうしていいかわからん。 ■そもそも金曜の夜に会ってそのあとたっぷり人んちのベッドで10時間も爆睡して土曜の昼間に帰ってきたのに、まずは自分のベッドで寝たい、という気持ちでなんの行動も出来なかった精神がひどい。結局夜に起きて飯食って寝た。翌日日曜も特に何もせずに海外ドラマを観て終わってしまった。本当は土曜はだらだらして日月で何かをしたかった。 ■夜中に「イコライザー」観た。クロエ・モレッツが闇の世界に浸かってしまい、体を売る姿にまず胸が締め付けられる。序盤のダイナーに夜な夜な訪れロバートと一言二言交わして 孤独を癒やすシーンは素敵だった。終盤ロバートの目がクローズアップされる映像は瞳の暗澹とした様は感情を感じさせない残酷さと不気味さがあるのどこか優しさや深い知性も探りたくなる。
2018-10/5.FRI
■2度目にあって家に泊まった。周辺の環境になんとなくおかしな感じがしたら近くに東映のスタジオやNHKの映像関係の建物があって「おぉ…!」という謎の感動。もっとよく調べたら円谷プロの移転前もこのあたり。素敵すぎる。これだから東京は…。
■翌昼おきてメール確認したら宇多田のLIVEに当選してた。最高…。
2018-10/4.THU ■「ザ・プレデター」観た。 ■ルーニーズの面々の、"精神的に問題を抱え、どうしようもない壊れっぷり"をぶっ飛んだ男のファンキーな魅力として描くのではなく、その男たちが極めて理性的であろうとする様の哀愁ったら無い。さらに彼らの死の描かれ方の軽薄さは決してただの悪趣味ではなく、そこが、彼らの選んだ死に場所だったという現実にも哀切が漂う。死の瞬間、もはやその表情すら映らない彼らの内面に、きっと後悔は無いだろうという確信に近い願いを重ねてしまう。それに、自分では気づかない部分ではあったんだけどtwitterのプレデターを観た女性の数人の感想の中で「劇中でケイシーが必然的に裸にならなければならない脱ぎのシーンがあるが、そのときに乳首はおろか首から下を見せないという映画だった、そういうものに慰められる」という声があって、男性は気づけ無い部分であり、なおかつこういうところにきづけないというのはしょうがないことでもあり、どうしようもない男女間の溝なんだな、という気持ちになった。あと、最近良く思うのは男女ともにその体が性的に消費されるということはあるが、女性が消費される場合、女性がそれを批判した際に、それに対し単純に男女を逆にした反論が男性側からの言い分としては単純に境遇、背景が違うということも男性に説明することも難しい。そこにある消費される肉体という客体が、男女によってすごく差がある、という当然の事実がすごく蔑ろにされるという問題。 ■ケイシーを演じたオリヴィア・マンが一度この映画への出演を断ったことの理由に「多くの映画に登場する女性達は、男性キャラクターの恋愛の相手もしくは悲しみにくれる役か、極端に男勝りな役として描かれていて〜」とあって、そこからのこのキャラクターというのも素晴らしい。
2018-9/29.SAT
■多田由美がモーニング・ツーで連載・・・こんな嬉しいニュースがたまにあるから生きててよかった。高野文子などと一緒で、とにかくどんな構図でも絵がまったくダサくならない天才で、寡作で、とにかくカッコいい。
2018-9/28.FRI ■半年ぶりくらいにちゃんとセックスをした。初めて会う人なのにその人の家についてしばらくコーヒーを飲んで、無言でお互い本を読んで、それとなくセックスをした。自分も泊まるつもりはなく、相手も車で送るつもりだったらしく、事がおわってしばらくして送ってもらった。 ■家まで送ってもらわず、最寄りの駅までで止めてもらって駅前でタバコを吸って歩いて帰った。こういうときに、冬だったらなぁと心から思う。冬だったら、もっと、全てが良かったのに。
2018-9/19.WED ■職場の総務の女性、お子さんもいらっしゃる40代の方なんだけどいっつもオシャレで20代しかいない自分の部署の目の保養になってる。20代の同僚たちと「○○さん今日もおしゃれ…」「あの靴マルジェラのMM6じゃん…しかもMM6の中でも割と派手なやつ…」とかずっと話してる。自分も女性だったらMM6の靴、多分10足くらい買う。 ■いつもは割と大声で笑って話してて「〜じゃーん」とか若い言葉で話すタイプの人なのに、今日、本人に直接「靴かわいいですね、マルジェラですよね」って言ったら「ありがと。」って照れくさそうに答えてくれてマジ最高…!!って気持ちになりました。でも今思うとブランド名まで言って褒めるのはちょっと褒め方としてよくないのかな。もちろんブランド物だからってかわいいって言ったんじゃなくてそのブランドを選ぶ感性ひっくるめて素敵ですよっていう気持ちなんです。
2018-9/17.MON ■今日は漫画「BEASTERS」8-9巻、「メタモルフォーゼの縁側」、APOGEEのCDアルバム「Higher Deeper」買った。休みの日なのに外に出て偉いな-自分。 ■100年ぶりくらいにサイトをいじりました。楽しかった!日記はやっぱり書き続けたい。Twitterで書いていた感想に追記という感じで書こうと思ったらやっぱり予想以上に文章が長くなったので、140字というのは短かったんだなーと思いました。人の日記も読みたいなぁ。 ■来年、お引越しを考えていて楽しみだな。引っ越し嫌いじゃない。クソ面倒だけど。 ■9/8の日記の感想にあった、SFの面白みの一つとしての過去の足跡という意味で、アニメの「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」も一瞬過去の痕跡が描かれていてそれもすっごく好きだった。ソ・ラ・ノ・ヲ・トは断絶された世界も良かった。描写としては些細で、そういったささやかな描写も心が惹かれる。なおかつその細やかさは必要以上に戦争を教訓にさせずに、ただあの世界があの状態であるという現実のみで語っていて、それもまたSFっぽくて良い。個人的にSFというのはその世界のみで語られているのが好き。戦争反対のメッセージなどを語らないのが好き。 ■この画像、ガラスの中に入り込んでしまったみたいな感じになってかわいい。ちなみに下の日付は更新した日です。一言メッセージのところはあまり意味はない。
2018-9/8.SAT ■弐瓶勉「人形の国」1-2巻を読んだ。新作出てたことすら気づいてなかった。学園ラブコメ的な要素があったシドニアから一転、BLAME要素が強くなって嬉しい。そしてやはり弐瓶さんの描くSFのキャラクターの哀愁の描き方はいい。BLAMEでもシボが姿を変え続けたことで、シボのアイデンティティとなるものが外殻ではなく、その目的や行動によって確立されていくのはとてもSFらしくてよかった。物語においてキャラクターの重要度は言わずもがなではあるけど、現代はキャラクターの外見を補足するかのような二次的な内面ばかりだから、限りなく表層の個性を失わせる弐瓶さんの作品はとても安心する。物語の圧倒的な謎や魅力的なシナリオが、キャラクターを押し出しすぎたことによる副次的なものになる不安が無い。タイターニアの魅力的な書き方はSFとしてとても豊か。かっこよかったり美しかったりするルックスなのではなく、ナナフシのような姿で哀愁を描く。攻殻機動隊が、まだ人間を人間たらしめる要素の所在を求めていて、人間が機械の体を持とうとするスタート地点を描いている。弐瓶さんのSFはその先にある。行動原理が目的や使命によって存在していて、そこに人間らしさを求めない。 ■自分のような人間は、圧倒的な謎の不穏さ、建造物や物質の絶対的な魅力だけがそこに存在する簡素さがどうしようもなく、好きでしょうがない。その世界では性欲や食欲のような感情的で生物的な思考の寄り道すらさせない。普段目の前に横たわる人間的な魅力や生活の理想という煩悩を一切抱く必要のない潔癖さを心地よく感じてしまって、自分は人として欠陥でもあるんじゃないかとすら思う。 ■しかも更に、そんなふうに感情や煩悩が存在しない世界の先に、SF独特の美が存在する気さえする。世界と目的との関係の中で、感情を失っても美やハードボイルドが生まれるような矛盾。SFを愛する人間にとって、それはもっとも崇高な悲願なのではないかと思う。自分が存在しなくなったとしても、はるか未来荒廃した絶望の星で、人間がなにか少しでも残せていたら、人間はもう観測できないその跡こそ、SFの美意識の到達なのではないかと。(例えばカウボーイビバップのフェイのVHSのエピソードが個人的には大好き、結局あのVHSはちゃんと観測されるけど、きっとあの世界には誰にも観測されない映像媒体がたくさんあって、それは映画とかドラマとか、そういった長期保存を目的としているものというよりは長い目で見ても親子が見る程度のホームビデオであったり、ただ学生が適当に携帯を向けて撮影した何気ない映像だったり、そんなとりとめのないだけの映像が、暴かれることなく存在するということにどうしようもなく、胸がつまるような美しさを感じる) ■人形の国を買ったついでに、ケストナーの「人生処方詩集」も買った。以前tumblrで流れてきた「即物的な物語詩」を手元にほしかったので。

“ おたがいを知って八年目に
(よく知っていたと言っていい)
急に愛情がなくなった
ほかの人たちが帽子かステッキをなくすように

ふたりは悲しく思い 陽気にだましあった
何ごともなかったように キッスをしてみた
そして顔を見あわせ 途方にくれた
すると しまいに彼女が泣いた そのあいだ彼は立っていた

窓から汽船に合図ができた
彼は言った もう四時十五分過ぎだよ
どこかでコーヒーを飲む時間だ

隣でだれかがピアノを弾いていた

彼らはその町の一番小さなカフェーへ出かけた
そして彼らのコーヒー茶碗をかきまわした
夕方になってもまだそこにいた
彼らは二人きりだった そして全然ものを言わなかった
そして まるっきりそのことが理解できなかった”
2018-9/6.THU ■地元で地震。母親からは早朝すぐにメールが来てて「私は大丈夫。充電なくなりそうなのでとりあえず。」とのこと。なんてよくできた母。一安心。 ■地元で地震があったことで1年ほど前に喧嘩して連絡をとらなくなった(笑)友達から「お父さんとお母さん、地震大丈夫だった?」という連絡が入ってとにかく驚いた。父親が死んだことを伝え、家族は全員無事だったことも伝えた。
2018-8/7.TUE ■父親は8月3日に死去。5日に火葬。 ■晩年の父は決して人として好きになれるような人間ではなかった。易刺激性が発露したのは酒だけじゃなく抗うつ剤の影響もあったと思う。どんな事情があろうと自分自身の口から出た言葉や行動はすべて自分で責任を負うしかないことだし、アルコールを断てなかったのは父の責任ではあるにせよ、それでもやはり見ていて哀れだった。更に父の易刺激性には明らかな甘えが含まれていて、そんな父親を敬遠する以外にしなかった。後悔はない、いま過去の行動を思い返しても父のアルコール依存を止められる術も時間的な余裕もなかった。 ■まだ救いだったのは父が酒に逃避をしていたとしても、決して暴力には向かわなかったし理性を失い暴言を撒き散らすような人間性は無かった。父が酒を飲む理由はただ人と楽しく話すのが目的だったし、問題はただコミュニケーションの下敷きとして酒が必須だったところだった。すごく残念だったのは、あれだけ知識がある父が楽しいコミュニケーションに酒が必須になっていたこと。父の人生において酒がとても重要な位置を占めていたことはわかる、異常なほどに酒に強いという性質が、父親世代にある飲みニュケーションの文化を生きる上でずいぶんな誇りにもなっていたこともわかるし美点だったこともわかる。でも父親が知っておくべきだったのは「酒はバカな人とも飲めるけど、お茶はバカな人とは飲めない(小田嶋隆)」という言葉の通り、酒の特性や、酒と会話の関係だった。 ■少なくとも父に対して尊敬していた点は知識や誠実さであって、酒に強いという部分は無かった。好きだった登山に向かう途中、目に入った蝶の名前は全て知っていたしその山の植生を見てなめらかに説明することもできた。父親のそんな知識をとても愛していたし、それが間違いなく父親のそれまでの勉学の成果で、記憶力の為せるものだったというところも、ただただ尊敬していた。知識がもたらすものはフラットにすべての人間のためになるということを理解しているというものが自分の美点だったとするなら間違いなくそれは父親のおかげだと思う。性格的な部分や政治的な部分で父を受け入れられないものがあっても、行動力や他人への思いやり、誠実さはどこまでも父の美点で、自分はそれを手に入れられなかったけど、父のそういった部分を好きになれた自分自身のことも少しだけ好きになれた。父の嫌いな部分も含めて、それでも父の知識が僕を幸せにしてくれたと思うと知識というものがどれだけ尊いものかと思う。知識というのはそれほど価値があるもので、だから父親のことは根底では絶対に嫌いにはなれない。 ■父親の最後の姿に思うのは、冷たいようだけど、今の自分の姿は自分の行動の結果でしかない。寂しいという感情、それは自分の中で始末をつけなくてはいけない感情で、他人に癒やしを求めすぎてはいけない。人の役に立ちたいという気持ちがあったとしても、自分の生きる気力を人からの感謝のような肯定的なものであったとしても、そういった見返りを期待する生き方はよくない。やりたいことは自分のためだという覚悟が必要、人のために生きると人がいなくなってしまった時にすべてを失う。自分の欲望を見失わない。一人で生きていく時間をどう過ごすかが大事で、孤独になったときにただただ人の補填でそれを癒やさない。 ■ただ、それでもただ、今は死んだことをただただ終わりだと、そう受け止めてあげたい。死ぬことは誰にでも訪れる救いだ。喜びも幸福もいつか終わりそこに孤独が訪れ冷たい風を運んでくるのなら、愛した人にもいつか寿命が来るのなら、どれだけ満たされても渇望もまた無くならないのなら、怒りや憎しみが心を蝕み続けるのなら、どこかで終わる事がどれだけの救いになるのか。死んだ後、誰かの元に行くとも思ってないし、転生も極楽があるとも思ってない、ただなにもない。自分も感情もなにもない。存在も空間もない、だからもう終わり、そこで全てが終わる。それが悲しいことでもない、悲しみもないんだから。だから自分もいつかそうなることを望んでる。だから寂しいことじゃないと、近しい人たちにも思ってほしい。 ■葬式では一度だけ、骨になった父親を見て少し泣けた。父親のことを好きになれなかった理由の一つに骨格や体格もあったんだけど、そんな面影を残した骨だった。でももう嫌いじゃないよ。もういなくなってしまった人に、もう不要な感情を持つことはしない。今まで大変だったね、生きることだけでもすごく大変なことだと思うよ、だから、もう亡くなった人には、みんな誰でも、ただお疲れ様と声をかけたい。そして、これだけは本当はもっと伝えたかった。ありがとう。父親ほど自分に何かをしてくれた人はいない。父親のおかげで、今の自分がいる、自分だってどうしようもない人間だけど、それでも自分のこと、好きな部分はいくつかあるよ。そういうのも、全部きっといろんな人のおかげなんだろうね。生きていくのは大変だけど、少しでも面白おかしく、楽しく生きていこうとは思ってるよ。ありがとう、全てありがとう。正も負も、酸いも甘いも、好きなところも嫌いなところも人生の醍醐味だよね、好きな感情も嫌いな感情も、憎さも尊さも、美しさも、豊かさも、愚かさも、すべて受け止めていきたい。
2018-8/6.Mon ■仕事を休んでしまって、twitterで私信を見て涙が出た。誰よりも自分の言葉を見ていてくれてる人だから、自分にとってこんなに特別な人はいない。ありがとう、戦友のような、仲間のような、親友のような人。
2018-8/3.Fri ■もう父が長くないこと、あと1日か2日だけということも知りつつ一度東京に帰り、父の知り合いに父の状況を伝えるためにご飯に行った。上品なおばあさまで、父とはFacebookで知り合ったという面白い関係だった。ご飯を食べている時に病院から訃報があり、静かに伝えた、申し訳ないことをしたと思いつつ、父の最後の夜を、父の知り合いと過ごしたかった気持ちがあった。また飲みに行こうという約束をして別れた。 ■その人と別れた後、この1年何度か歩いて好きになった丸の内・銀座あたりから海沿いを歩く道を散歩して帰った。何度通ってもいい道。東京臨海新交通臨海線の芝浦ふ頭駅を少し過ぎたところに小さな港のようなところがあって、オレンジの光は不気味で居心地が悪いのに、そこに寄ってしまう。海水浴にもダイビングにも全く興味はないのに見ているだけの海は好きで、それは死と絶望を目の前にして自分が安全圏にいるというのが正しい海との距離感のような気がするからだと思う。芝浦ふ頭まで行く道には大きな倉庫があって、夜にそんなところに行くと侵入者として捕まって沈められそうな不穏さがいい。家にさえたどり着けば、自分は侵入者からただの一般人として逃げおおせたような気持ちで眠りにつける。朝起きればまた1日が始まる。おそらく夜の散歩が好きな人はその時間、いつものただの人間ではないもっと無防備で、もっと後ろ暗い不穏ななにかにでもなったような気がしているんじゃないかと思う。抱えた不安や後ろめたさを、そのときだけはアイデンティティかのように抱え、また普通の社会人に戻る安堵を胸に眠る。
2018-9/29.SAT
■宇多田ヒカルがプロフェッショナルに出てて、最初のシーン、製作途中の初恋のデモ音源から感性のサビにつながるところ、素晴らしい・・・。
2018-7/10.Mon ■父親がまた倒れたという連絡を受け、急遽仙台へ。 ■書くほどのことはないからうまく書くことが思いつかない。ただ、父親なき後の母親の生活や父親の後遺症によって懸念される医療費などが頭を悩ませる。父親の病気は父親の自己責任でしかなく、自分でも驚くくらい同情も憐れみもない。自分は父親に対して、健康であれば一緒にいて苦じゃないけど、それ以外で父親と一緒にいたいとは露程も思わない。 ■父親の病院にいくまでの新幹線で積読だった「絶深海のソラリス」をようやく読んだ。ここ数年ラノベは継続して読んでるもの以外少しも読んでいなかったけど、久々のラノベは面白かった。この小説はライトノベルのライトさの所以たる類型的で安易なキャラの造型を逆手に取るかのようにそんなキャラクターを絶望に陥れる。活発で自信家で強気で可愛い女の子や天然でおっとりした幼馴染、特徴的な口調の機械音痴な女の子、言葉に重みがないような今どきな女の子、憎まれ口をたたく巨乳で少し年をとった強気で仕事に生きる同僚。そんなふうにちょっとした特徴をいうだけで大体キャラのビジュアルすらつかめる。今のラノベにありがちなラノベやアニメカルチャーに馴染んだ層には瞬間的に心に馴染む文脈のいらない記号的存在はある意味でラノベで成立する特殊な表現方法だ。そんなキャラクターたちに囲まれるハーレムの状態から、絶句してしまうような状況に陥れるのは簡単ではあるもののやはり心に突き刺さる。でもやはり特筆すべきはその絶望は起こってしまった出来事を、後悔してしまう刹那、その瞬間、もうたった1秒であったにせよ過去はあまりに、どうしようもなく遠いという点。「ま、まって」と口をついて出そうになってしまう、その「ま、」という第一声を発してしまっているときにはすでに全てはもう過去。その過去がたった数秒までの出来事でもただの過去ということが、現在の直ぐ側には絶望があるということを実感させる。あとにはもう戻れない、ただ、さっきまではそこにあったはずなのに。1巻でこの展開というのもいい。下手に長くなってしまうとこのリズム感は無いし計算された着地点がもっと狙いすぎたものになってしまう。畳み掛けるこの勢いと短さがいい。 ■正直なところ絶望させる暗黒系ラノベは割とあるんだけどこの小説はエンディングのオチまでがすごくしっかりしていて例えばスティーブン・キング原作の映画「ミスト」におけるタイミングの悪さと同種。真魚八重子さんが「バッドエンドの誘惑」で語っている「タイミングは未知の領域で、意志や理由が働かない。だからよけいにむごいのだ。(中略)あまりに突き抜けた運命に翻弄された人々は映画に渋いロマンティシズムを漂わせ(以下略)」。そう、こういったタイミング系のバッドエンドの作品はエンディングという開放感の中、ひっそりとただ時がすぎるというだけのシンプルな救いによって、運命の残酷さを許容させる。何も解決していなかったとしても、ただやはり終わるということだけはたった一つの、救いにもならない救いだ。 ■この小説を書いたらきるちさんはツイートでの生存確認も2016年で止まっていて心のそこから残念。というか、とても心配。何かあったんじゃないかと。
2018-6/27.Mon ■職場の一つ上の女の人にたまに誘われて飲みに行くけど、正直少しも行きたくない。その人は退職が決まっていてやめたあともたまに飲もうねなんて言われてるけど少しもそんな気持ちはこっちにはない。これから絶対に趣味も一致しない相手に友人としての好意でも持たれるのは苦痛。自分は女の子で大好きな子はひたすら自分が追いかけ続けたいし自分が一方的に好きなくらいがいい。そして自分はそんな好意を相手にしられないようにずっと友人でいたい。 ■職場の人たちがみんな好きで、その理由の一つはみんな適切な距離感を持ってることにほかならない。みんな笑顔で人を不快にさせるようなことを言わない、しっかりと気を遣いありがとうを忘れない。自分は、上手く言えないけどそれ以上に発展する必要のないただしく清く表面での優しい人間関係というのがすごく好きで、それは無駄なことをせず、別け隔てなく接する代わりにその人に不用意にふみこまない距離感を持っているということにほかならないから。 ■自分を女性に置き換えたときに、そういう異性からの誘いだとかが苦痛になると思うとセクハラの苦痛ってすごくわかる。だから自分の人を追いかけたくなるような好意も人の苦痛になりうることを理解しなければならない。いつだってあっさりしつこくないことが人間の美点。
2018-6/26.Mon ■職場の女の子と宇多田の話になって「今日フラゲですけどいくんですか?」と言われてもちろん行った。こんなふうに流行りの、話題になっている歌手のCDを、しかも店舗で、しかもタワレコで買うなんて行事は参加するに限る。久々に行ったタワレコは大行列で、ここにいる人達はCDを買う人達なんだ、と感動したけど持ってるのは嵐の3枚のシングル、特典版でがっかり。しかも嵐ってところも気色悪い。自分もアイドルは好きだしアイドルオタ全般へ理解があるつもりだったけど嵐だけは理解できない。 ■宇多田ヒカルのアルバムはもちろん良かった。「あなた」や「初恋」では刹那的な、でも瞬間最大風速的心理の恋愛を描いていて、「誓い」では切羽詰まった、でもまだ若い恋愛を歌っている、「嫉妬されるべき人生」では老成、かつ信念をもとにしたどこか意地を感じるような歌詞になっている。どの曲でも恋愛の中にある「覚悟」が共通してある。
2018-6/16.Sat ■映画「万引き家族」を友達と六本木で。 ■安藤サクラ、松岡茉優、素敵。僕を捨てるつもりだったの?というあの男の子の言葉ではっきりするあの家族の独特の成り立ち。できる範囲で愛情を注げるがそれ以上のことはできないあの家族の、限界と、可能性。必要な教育はできなくても、最も大切な愛情だけは注げる。確かに法的にも常識的にも禁忌を犯してはいるのに、確かに彼らは愛情があり、暴力や虐待をせず、あの子達に必要なものを与えた。罰することは簡単でも、何も知らない外野が理解するのはとてもむずかしい。そこに焦点を当てたというだけでも映画の面白みがある。万引きだとか車内放置であるとか、それが日本の暗部であるとか問題とかではなく、普遍的なテーマだというところも好きだった。
2018-5/11.Fri ■映画「君の名前で僕を呼んで」を仕事帰りに六本木で。 ■素晴らしかった…。往年の名作を思い出すとき画面の粗さやタイトル、スタッフロールのデザイン性のコミカルさみたいなものも同時に思い出すんだけど、この映画は狙ったアナログなオシャレさを表現していて、オープニングのスタッフのフォントからすでに良かった。 ■往年の名作といえばこの映画はジャック・ロジェを思い出す。でもこの映画はもっととっつきやすく、少年の成長や恋愛を描いていた。同性愛的な心理は思春期に起こる一過性の現象だと言われている。この映画がロマンスだろうと同性愛をテーマにしたものだろうと、それはもうなんだっていい、だって人間の心理は何を切り取ろうがその一瞬の燃焼、その連続だ。焼ききれるような、爆発してしまいそうな彼の精神はいつだって移ろっていて、すべてが真実だ。彼の性質が同性愛者であろうとそうじゃなかろうと関係ない。彼の感情に何一つ間違いはなく、彼が今後どうなったって知る由もない。あの夏、彼は恋をしただけだ。好きになった人の性器の臭いを、体液を、想像することはおかしいことだろうか?例え彼が美しくなかったとしてもその行動や心理は何一つ間違っていない。確かにあまりに美しい青年が演じてはいても、この映画で描いていたことは少年たちの真実だ。もちろん少女にも言える。 ■この映画の、時間や温度の表現は素晴らしかった。昼間、好きな人と時間をかけて遠出をしたり、夜に好きな人に近づくという恋愛の最も最高の瞬間を切り取っていたり、一人自分を慰め昂ぶり、そして落下する思春期の性衝動の一連の描写はシンプルながら説得力にあふれていた。サヨムプー・ムックディプロームの撮影はどこまでも続くような原風景の広がりがあって素晴らしかったし、なんと言ってもティモシー・シャラメの演技は今年見た映画の中でも最高。この映画は恋愛映画の名作としてこれからも語り継がれる。 ■もうなんと言ってもティモシーの演技、ある長回しのシーンはもう胸を締め付けられ、抑えても抑え切れないような苦しく豊かなシーン。
2018-5/7.Mon ■「レディ・プレイヤー1」観た。映画を撮ってきた、映画人として、ものづくりの人としてのスピルバーグの自己言及やものづくりの悲しさ、オタクたちの生き方、涙するしかない。
2018-4/22.Sun ■父から連絡が来てすぐに旅館を予約していたので、奥湯河原に1泊。自分の電話したタイミングだったのか最高の部屋だったし素晴らしい旅館だった。いやー、奇跡かよ。奥湯河原は坂が多く住んだら大変そうと思いつつ環境が素晴らしかった。父はそれほど酒も飲んでいなかったし自分もそんなに飲まないですぐに寝た。こんな感じで十分。
2018-4/13.Fri ■父親から電話。気が滅入ってるから東京に行く、温泉にでも行こうとの連絡。知らねー。面倒くせーと思いつつしょうがないな。やるか。
2018-4/9.Mon ■割りと面倒な相手と付き合いそうになって付き合っていないのでフェードアウトしていきたい。自分がこれだけ相手を思ってこうしている、ということを押し付けられるものすごいストレス。圧迫感、嫌悪感がすごい。こちらにも非があったかもしれないけど、他人が自分の思惑では絶対に動かないということを理解しない人間の圧を久々に身に受け止めてしまった。やめよう、恋愛はしばらくいい。
2018-4/8.Sun ■ゼノギアスのコンサートへ…!1曲めの冥き黎明ではゲームのオープニング映像を使い、観客は一気に当時プレイした気持ちに。あの時、初めてプレイしたときこれから何が起こるかもどんな物語なのかもわからなかったはず。だってあんなゲーム無かった。映画でも無かったような気がする。素晴らしい大風呂敷があってその中に一度のプレイでは理解できないような情報量が詰め込まれていて、新しい村に行くたび、新たな冒険に出会うたび、背景にある巨大で強大な思惑に翻弄されていることに気づく。全ての村で、全ての町で起こった可愛らしい出来事その全てが素晴らしい冒険だったはずなのに、その思惑はそんなこともあざ笑うかのように傍若無人に、吹きすさぶ嵐のようにプレーヤーを目まぐるしく弄んでいた。ありとあらゆる瞬間に物語の意図をつかみきれずにいた、誰もがあの物語を決して掌中に収めることはなく、どんな想像もその全ての上をいった物語の面白さがあった。海も山もあるあの世界で、牧歌的な要素もあったはずなのに、プレーヤーが夢を見て慈しみ続けたのは宇宙船でありはるか遠い未来の技術であり、今自分たちがいるこの時代でもあった。今この時代に地続きの未来、どんな絶望的な未来であってもそこにある荒唐無稽なSFの世界、ロボットであり空中都市でありゾハルでありデウスでありカドモニだった。今自分たちがいるこの時代のはるか遠い先に、宇宙船が飛び回りあらゆる真理が解き明かされているかもしれない。そんなことに夢を抱かせる作品だった。人間は真理や謎や神に対してスピリチュアルな、理解の及ばない何かを結びつけて得体の知れない何かと思っているけど、この作品ではその全てを説明付けるために謎めいた蠱惑的な機械で満ちていて、そんなもの全てが大好きでしょうがない。コンサートにあつあった人たちはきっと自分みたいなのばっかりなはずだった。冥き黎明、 ■コンサートにあつあった人たちはきっと自分みたいなのばっかりなはずだった。冥き黎明、海と炎の絆、おらが村は世界一、そして遠い約束。海と炎の絆で既に涙目になっていたのに遠い約束が流れて観客は既に号泣していた。自分の隣の一人できていた女性も号泣していてもうなんて素敵な会場だったんだ…!!!!!!
2018-3/2.Fri ■表参道パーティに仕事で行ってPUFFYを見れた。最近矢野顕子のアルバムでフジファブリックのbyebyeをカバーしていたことで思い出したけど、byebyeはフジファブリックがPUFFYに書いた曲だったんだっけ。

■バーチャルユーチューバーのシロちゃんルナちゃん、そしてカフェ野ゾンビ子ちゃんずっと見てる。ゾンビ子ちゃん、ただただずっと勝手に笑顔になってしまう。かわいい…。

2018-2/27.Tue Tracey Thorn - Sister(Official Audio)ft. Corinne Bailey Rae
Everything but the girlのトレイシー・ソーンのアルバムはほとんど聞いたことなかったけど、やっぱり好きだ。乾いていて爽やかで、誰からも遠くないけど別の世界だということも分かる。
2018-2/17.Sat ■以前自分が洗濯機を使った際に階下の方に水が漏れているとご指摘を頂いてから洗濯機を使わずにコインランドリーで急場をしのいでいたけど今日台所で水を使っていたら漏れてきたとの連絡をいただき急遽謝罪に伺った。すごいストレス。自分が悪くて人に迷惑をかけて、ということが最近多すぎて、こんなところに書いたからって何も解決はしないし罪悪感を拭うようでそれすらもまた申し訳ない。後日改めて菓子折りでも持って謝罪に伺う…。苦しい…そして辛い…。 ■こういうときの謝罪は何が良いんだ…。HIGASHIYAのお菓子でも買おうと思うけど和菓子は苦手な人が多いだろうし…そういえば最近頂いたコンパーテスのブラウニーサンド、あれは最高だった…。コンパーテスのサイトを見ても無かったから調べてみたら日本限定だったのか…。ピスタチオ、ラズベリー、本当に美味しい。
2018-2/16.Fri ■学生の時の友達を数人集めて、自分としてはすごく大人数の6人で飲んだ。
2018-2/5.Mon ■自分は居なかった頃、うちの会社がすごく体育会系だった10年近く前にすごく怖かった女性社員の方が自分が居ないときに自分をすごく褒めてくれてたことを新卒の女の子に聞かされて、そのときは照れ隠しでごまかしたけど本当に嬉しくて、なんだか全てが報われた気がした。自分はただ衝突や雰囲気が悪くなるのがすごく嫌で、社内ではただただ明るくみんなに接するようにすることや笑顔でいること、新卒の子たちを些細な注意くらいはしても叱らずにいただけだった。でもそういうところを見てくれていて、社内の雰囲気が良いのは彼のおかげもあると言ってくれてて、大げさだけど本当に本当に自分の人生の一部を肯定されたようだった。 ■でも自分よりも素晴らしいのは新卒の子たちで、自分が彼女たちを叱ったり説教したり怒ったりせずにいられるのは、例えばちょっと私語が多くなったなと思ったときは自分がそっと静かにしただけでなんとなく察してくれるし、与えられた業務をしっかりこなし、自分でも仕事を見つけ、人との接し方を間違わずにみんなと仲良く出来るだけの適応能力や育ちの良さがあるからだし、自分は他人を変えようとするほどの熱意も意欲もないことを間違っているとは思わないけど、その分ひとに頼って生きてる部分もあるから、彼女たちのような子がいなければ自分はもっと憂鬱に過ごしていたと思う。
2018-2/2.Fri ■映画「デトロイト」仕事終わりにTOHO CINEMAS 新宿へ。 ■すんばらしい…。さすがとしか言いようがない、キャスリン・ビグローのえげつなさ、悪趣味さがすごい出た。大体の素晴らしさはもう何も言うところがない。やはりこういう物語にある悪意に対する一方向的な描写ではなく、極限の精神状態が全員にのしかかり、彼らの行動が許容されてしまう絶望。そもそものこの白人の行動の救いようの無い愚かさ、でもそれは決して個人の愚かさではなく、人間としての、あまりに嘆かわしいものの、どうしようもなさ。もちろん個人としてそうあってはならない正義はあるにせよ。しかしそういう人間が決して一人も居ない世界には絶対にならない。許せはしなくても、ただただこの1967年、デトロイトであったこの出来事はただただそこにあるべくしてあった。地場的に、時代的に、人間的に。逆に言うといい人もいた、もちろんそれも当たり前で、だけどそれもまた意味がない。そこらへんを見つめるキャスリン・ビグローの冷静さと理知的さ、そしてやはりこの人の暴力描写の極上さ…悪趣味だと思いつつ、これはもうビグローの得意分野。 ■配役がもう…!!!!全員が濃密で豊かで、全員に拍手喝采。彼ら全員のこの映画を演じた苦しみ、悲しみ、その全てを讃えたいような気持ちになる。全員が素晴らしい。どれだけ辛い撮影だったか。
2018-1/31.Wed ■椎名林檎の「ありきたりな女」のPV、椎名林檎の旦那さんが作っているんですね。スタイリストは飯嶋久美子さんじゃないっぽいけど誰だろう。ピアスがすごく可愛い。あとは何と言ってもたくさんのガラケーをドミノに使ってるところ。すごく良い。
2018-1/28.Sun ■モンハンワールド買ってみた。大変なゲームだな…という感想。こうしてやってみるとFFのサブイベントとしてのモブハントとかで十分かもしれないと思った。ちょっと続けて駄目だったら諦めよう。 ■暮しの手帖を買いに行ったついでに見つけた、買おうかなと思って止まっていた大人の科学マガジン、小さな活版印刷機を見つけたので買ってしまった。今度やる…。 ■フジファブリックの志村さんが亡くなった頃のアルバム、「MUSIC」に入っていたbye byeをあまりやっぱり聴けなかったけど、矢野顕子の7thアルバムを聴いたら一曲目にカバーが入っていて危うく泣きそうになる。 ■志村さんは坂本真綾が好きで、矢野顕子がいいなって思ってフジファブリックのカバーをしていて、自分はそんな人たちの曲が聴けて幸せ。
2018-1/27.Sat ■夜に急に電話があって学校で一緒だった友達が最寄りに引っ越してきたと言うので飲んだ。相変わらずすごく変わっていた、話し方は完全にちゃらついていて頭が悪そうなのに育ちの良さがある。昔から社会の汚い部分と隣り合って生きてきつつ本人にはなぜか欲望が薄い。デザイン系の学校に入って自分が向いていないということに気づいた彼は学校のデザイン系の人間をいけ好かない連中で気取っていると言い切っていて、彼自身しっかりと金を稼いでいてそんな面で見返すようなプライドを持っている。しかもその反発性を持った上昇志向の中で間違いを侵さずに見返すというのが潔癖な彼の美点で、素直に感心しか無い。 ■少し飲んだ後に家に遊びに行ったら目黒区で一人暮らしで5階建ての5階、広いベランダの2LDKの完全にファミリー向けマンションに住んでて一体何をして金を稼いでいるのか気になったけど聞かなかった。でもだからと言っておかしなことに金を使ってる気配もなくて、だだっ広い家にはテレビも趣味の何かも無く、ベッドとテーブルと椅子があるだけで、彼の潔癖さや欲望の方向性がすごく不安定に感じる。食べているものもところん質素で近くのスーパーで納豆やカップスープで済ましているようだった。溌剌としたタイプでも野心的でもなく、ただ自分が周りにどう思われているかをしっかり理解していて、頭が悪いと思われても軽薄だと思われて同年代のぬるい人間よりも稼いで身を立ててやるという生き方に対してとても素直な生活を送っていた。 ■服や音楽や食や文学や映画のような文化的なものが欠落していて、だからこそ彼には欲望も薄く物体への執着も無い。彼の生き方はものすごく理にかなっていてものすごく人間味が薄く、ポイ捨てもするし歩きタバコもするようなマナーも悪いし柄も悪いただのヤンキーなのになんだか全然嫌いになれない。 ■広すぎる部屋だったから「自分が無職になってお金もなくなって生活できなくなったら転がり込むかも」って言ったら「助けてやるけど出来るだけそうなるなよ」と言われた。 ■村上龍の小説に出てきそうなところが好き。
2018-1/25.Thu PANTONEインスタグラムアカウントが美しい。
2018-1/22.Mon ■雪が降ってていてもたってもいられないような気持ちになった。東京で雪が降っても何故か惜しい気持ちになる。水分が多すぎてコードには染み込むし道の状態は最悪。寒いのは好きだけど。 ■自分の部署に入ってきた新卒の女子2人は最高。大好き。仕事もしっかりやるしニコニコしてるし常識もある。デザイン系の女の子、自分の周りの子達はみんなしっかりしてて自分の好きなものに正直で人付き合いもできてゆとりっぽさなんて少しもないし困ったちゃんも一人もいない。
2018-1/19.Fri ■職場の女性社員の一人に気が合うと思われてしまっているのかよく誘われて飲みに行ってる。そして今日も。2月に1〜2回も行ってる。ぐいぐい来られると距離を起きたくなるという人間の習性で、正直行来たくないので次回からは理由をつけて徐々にフェードアウトしよう。嫌な理由だけど今回も「お金がない」と言ったけど「払うよ、返すのはいつでも良いよ」と言われてげんなり。めちゃくちゃいい人で気があったとしてもリズムが合ってない。半年に1回で良い。あと正直行って5000円払うくらいなら行きたい店はたくさんある。クソみたいな居酒屋は苦痛。 ■大好きな人なら全て許せるんだけど。そりゃそうか。
2018-1/7.Mon ■心機一転。今日からちゃんと日記を書く。 ■ようやくCreative Cloudに契約してPhotoshop CCにしたら画像が…美しい…。 ■Twitterのフォローしてるドルオタが今年は全然聴けなかったと言いつつ邦楽ラップアルバム10枚をきちんとジャケットの画像を並べて作っていて、こういう手間を少しもかけていなかったし、アルバムだってほとんど新しいものを聴いていなかったと猛省。自分も今更ながら2017年の邦楽ラップを追いかけてみた。ら、1日が終わった。
2018-1/6.Sun ■祖父母の老人ホームに正月なので訪問。父親も近くに住んでいるので連絡したほうが良かったんだろうけど会いたくなかったので連絡せずに行ったのに偶然あってしまい結局夜ご飯を共にした。 ■父親と母親が別居している関係でいつか自分は父親に、明確に「自分は母親の味方だから」という事を伝えることになりそうだし、父親を傷つけることになっても「あなたの言っていることには納得がいかない」という事を言うんだろうと思う。しょうがない。
2018-12/23.Sun ■ブルックリン99おもしろい…
2018-12/7.Sun ■地球防衛軍5買った。
2018-12/2.Sun ■ギルモアガールズのローレライと両親の確執の重さがすごく伝わってくる。許せないという感情がこんなにも辛く重いものだというのは、気づきにくいし厄介だな
2017-11/25.Sun ■映画「彼女がその名を知らない鳥たち」観た。な、なんとも言えない…"共感率ゼロ"女子像が想像と違った…というかこの十和子のキャラクターに関して共感率ゼロとかいうキャッチ、多分本当に間違ってるし、蛇足だったなー。こういった映画の入り口に選ぶキャッチが「共感率ゼロ」っての、観客の視座を低いところに設定しすぎている。蒼井優の演技は素晴らしいしやっぱすごい。
2017-11/9.Sun ■「アトミックブロンド」見てきた。先週の女神の見えざる手もそうだったけど最近のこの、そこまでして勝利する女たちシリーズは最高。 ■シャーリーズ・セロンはすごすぎ。かっこよすぎ。お美しすぎ。最高。特にアクション、アクションというよりも肉弾戦。もちろん動きのかっこよさもあるのにもっと強く感じるのはとにかくシャーリーズ・セロンの動きが、人を殺すための動きをしていること。人体を破壊するための打撃、効率よく、シンプルに相手を殺すための動き。ものをひっつかみ相手にぶち当てる。拳を固く握り相手にぶつける。男の股間を殴打する。 ■少し残念に思ったのはファッション。ほぼかっこよかったけどたまにやりすぎのような感じもした。先週観た「女神の見えざる手」では完全に個性を削ぎ落としつつもそれが主人公の生き様や内面を完璧に表現したファッションだったのに対してこちらはカルチャー色を強く取り入れたものだった。それはいいんだけど部屋着としてのボーダーのオフショルダーのニットとか、本当にロレーンの好みか?好みだったとしてロレーンがこれ?という感じもした。 ■でも音楽も最高…!Siouxsie & the Bansheesの「Cities in Dust」、映画見終わってすぐに聴いた!
2017-11/4.sat ■有楽町シネマズシャンテで「女神の見えざる手」観てきた。初めて行った映画館だけど立地がなかなかいい。 ■敵も味方も全てを欺く、というコピーはありふれていてるけど 物ともせずに描ききったこの作品を見終わったときには胸が震えた。 厳かに静かにしたり顔で、これから観客を騙してやろうという政治サスペンスの仰々しさはなく、 むしろスローンの壊れそうなほどの繊細さにこそ目が離せなかった。 ジェシカ・チャスティンが何よりもまず素晴らしかった。 人を欺くためには、先手を取らなければならないというこの映画の言葉があるが、人を喜ばせるためにはその人がどうすれば喜ぶかを想像しなくてはならない、それなのに人を喜ばせる善意が根源の想像力ではなく、 ロビイストとして人との騙し合いに勝ち続けなくてはいけなかったスローンの生き方の寂しさ、悲しさは想像に難くないし、 そんな彼女の描写の数々はあまりに切ない。 年収100万ドルを超える彼女は悠々とピンヒールで歩く。 隙のなさを伺わせる戦闘服のようなハイブランドの服は彼女の美しさを引き立たせているのに彼女の内面は描写しない。 この映画の、スローンにとってファッションが持つ意味は戦うためのものでしかなくそれ以上にパーソナルな意味が感じられない。 見えてくるとしたらほんの些細なヒールの動きだろうか。 人の目に晒されているときの彼女には一分の隙も見せず、立ったときの姿勢の補助、 座っている悠々とした彼女を一層気高く魅せるが 一人、部屋で孤独に苛まれたとき、ピンヒールから体重を椅子に移し、 少しだけ自由にはなるが彼女の不安定さが表れたかのようにピンヒールが遊んでしまう。 美しく体のラインが出る彼女はどんなシーンでも着こなしてはいるが、ラスト近く、ある服で部屋から出ようとするときに ポケットに手を入れてらしくもなく粗雑さと内面との一致が感じられる。 どの瞬間も彼女ではあるが、弱さに触れられそうになった瞬間を本当の彼女と言いたくなってしまう自分がいる、 スローンの弱さを見つけて彼女の姿を見いだせるのではないかという自分こそ 銃規制法案を廃案にするためにやってきた男たちのセクハラと同じような目線を自分も持っているのではないかと思わせる。
2017-11/3.Fri ■原作の宝石の国、最高だ…基本的に紙が白ということが根本の漫画において白というものはもはや透明としての役割、意味が強い。もちろん現実世界でも基本的には光も闇も相対的な、色というよりも現象なんだけど、漫画では闇を描くよりも光を描くほうが圧倒的に難しい、そして市川春子は光が上手すぎる…
2017-10/20.Fri ■ジャックロジェオールナイトは友達と2本目まで見て3本目は見ず退席。神楽坂で雨の中酔いつぶれて吐いて倒れていた大学生を発見して交番に報告して水を置いて立ち去った。3本目のメーヌオセアンはDVD持ってるからこんどうちでみる。
2017-10/9.Sun ■久々なメンバー4人と食事してデザイン界隈のあまりの世知辛さに泣いた。みんなひたすら雇用保険とハローワークの都内の少なさを話した。
2017-9/30.Sat ■実家の猫が死んでしまった。本当は今日北海道に帰る予定だったんだけど(調べてみたらLCCでもこの時期当日でも1万円前後でチケットが取れそうだったので)、朝6時に、(やっぱりという感じで)猫が死んでしまっていたので、ぼーっと1日過ごした。朝6時半に母親にメールを送った、悲しいねという内容と、自分はなんだかその寂しさを持続した上で(なんでか、この寂しさを持続させたかったし、それが葬いになるかと思って)それでも何か励ませないかと思って「弱って行くのを一番近くで見ていたんだから、ゆっくり休んで」と送ったら「でも16年間生きてくれてありがたいね」という内容が来ていて母親には敵わないなと思った。16年間、生きていてくれて本当にありがとう、実家の北海道で生きていても、ずっと猫を飼ってる気持ちでいられた、人に動物を飼っているかどうか聞かれても「実家で猫を飼ってるんです」と答えられた。側にはいなかったのに、そういう風に答えることでずっと猫を飼っていた、そんな風な自分にしてくれて本当にありがとう、あんなに小さい体で水だけで最後の1週間を生き抜いて、すごく疲れたんじゃないかな、母親からのメールでは弱っていても日向に出て寝ていて、いつも自分は晴れよりも曇りだったり雨が好きだなって思ってたけど、暖かい陽の光はやっぱりいいもんだし、暖かい陽の光に、うちの猫を暖かくしてくれてありがとうとお礼を言いたい。猫の行動は可愛らしくて、外に出ると鼻をひくひくさせて風の匂いを嗅いだりしていたことを思い出しては、自分も季節や外の香りに敏感でいたいなと何度も思った。最期にはベッドにも上がれなくなって、どれだけ今まで当たり前に彼らの野生的な動物の特性と暮らしてたんだろうと思って、やっぱりそんな高さも飛べなくなってしまったことがすごく悲しくて泣けて泣けてしょうがないから、ようやく息を引き取って、それでこそ野生を全うできたんじゃないかと思う。 自分の部屋は片付かなくてものにあふれていて、自分が死ぬまで大事にしたいものもいくつもあるし、それは自分が大事にしていけばずっと側に置いておけるものだから忘れていたけど、生き物はそうじゃなく、こんな風に失わなければならないことに、どうしようもなく慣れずに悲しむしかない。次実家に帰ったら、あの子はもういないんだ。死んで楽になれたんだろうな。死は誰にでも訪れる平等な無で、安らぎであって欲しい、天国も地獄もなく、来世もなく、空腹も苦痛も欲望も煩悩もないただの無であって欲しい、それは絶対に救いだし、自分にとってもそうであってほしい。魂に重みがないということがわかってよかった。21グラムなんてのも嘘でよかった。最後の最後まで肉体が全てで、そこに想いを寄せただけで、それくらい単純でいい。死んだら終わり、とても潔くていい。あとはもう悲しむだけだし、あとはもう時間がどうにかしてくれる。小さい頃からそばにいてくれてありがとう、本当にこんな風に掛け値無しで好きになれるのは猫だけなんだ。つめの画像。 ■弱りゆくときも死ぬときも、ずっと一緒にいたお母さんがすごく辛かったはず。元気出ていて欲しい。美味しいものを食べてゆっくり休んで欲しい。と思ってメールを送った返信がこれ。すごく安心した。ちゃんと生活してる人って信頼出来る。…それは絶対。ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと寝てる人は信頼できる。だって、その点で心配をかけないというのはすごく嬉しい。大好きな人にはいつも健康でいてほしい。
2017-9/8.Fri ■側にいなくても猫を飼ってる生活は一人暮らしでもずつと続いていて、これから遠くで猫が死ぬことで猫を飼ってる生活は終わるのか、と本気で思ってる、一匹目が死んでからいまだって死んだことを思い出すくらい死んだことを忘れて生きてる気がしてるのに。
2017-8/26.Sat ■ハウス・オブ・カードを見始めた。
2017-8/14.SMon ■宇多田のインタビューとか文章はやっぱり良い。VOGUE8月号の宇多田のインタビューもすごく良かった。
2017-8/12.Sat ■映画「ゴーストバスターズ」良い。これだけおバカさんテンションだけどこういうおバカさんな映像が、今の小さい子達の新しい、そして可愛らしいトラウマになってくれることを祈る。本当に辛い映画ではなく、こういうのがトラウマになるとあとあと楽しいから。あまりにシリアスでデリケートなものじゃない、絶妙なトラウマってすごくすごく豊かな体験だと思う。 ■映画「コンサルタント」すごい良かった…。
2017-8/1.Tue ■映画「君の名は。」
画は素晴らしかった。作画が素晴らしい、個人的にはたまにラッセンのような鋭角的なぎらつきのある背景が苦手だと思う過去の作品もあったけど、ある時からそこに動きの加わった素晴らしさが出てきて、それはもうこの人の作品の素晴らしい持ち味だと思う。tumblrでも新海監督作品の料理シーン、雨シーン、デッサンシーンはリブログされ背景との圧倒的なシームレスさはただただ息を呑む美しさがあった。今作品でももちろんそれはありつつ、さらにキャラデザはより普遍的に受け入れられるものになってこれだけヒットすることも納得するような画の進化がありました。
■だけどその大衆受けの代わりに失ったものもすごく多かった気がして、でもそれはあまり言うほどのことじゃないのかもしれない。新海監督の作品が今回これだけヒットしたことはすごく価値がある、感動よりもただただ感服するような作品だった。もう好みとかそういう話じゃない。上手に売れる作品を作っていて、それは本当に素晴らしく価値のあるものだったと、すごく思う。
2017-7/8.Sat ■映画「美しい星」良かった…。概念系SFがすごく好きっていう答えに落ち着いた。SFだからといってビルが破壊されるわけでも時空を超えるわけでもないけど、地球だの滅亡だのと対峙している人たちの独り相撲のようなやり取りは自分の感情を揺さぶる。めちゃくちゃはしょると人知れず審議は定かではなくとも地球の終わりと戦う狂人の一人相撲ってものが好きなんですね。 ■映画「白ゆき姫殺人事件」良かった。貫地谷しほりええな。
2017-6/24.Sat ■ドントブリーズを思いがけず見た。後半はもうしつけーなと思ったけど楽しかった。発想の勝利。精液の気持ち悪い映画ランキングのトップ10には入る。 ■発想の勝利。こんなに!というくらい面白い仕掛けがたくさん出てくる。冗長ではありつつも終わりの見えない監禁の恐怖はやはりすごい。
2017-6/6.Tue ■映画「ワタシが私を見つけるまで」好きだった。恋人と離れてみたいと言ってニューヨークで(紆余曲折があったにせよ)一人暮らしできたりするところは完全に違和感だけど、それでもパーティからそっと離れて美しすぎる街を背景にアパートの屋上から一人孤独を感じるなんてやはり胸は詰まる。音楽もトゥルーグリットの主演の女の子ヘイリースタインフェルドのlove myselfやフィービーライアンのmineやらセンスがいい。センスがいいといえば不思議っ子のアプリの出会い系で伴侶を探しまくる女性の、最初のバーのシーンでの豆を使った統計説明のシーンもスタイリッシュだしアメリカ映画ってああいうもののコミカルさがテンポよくおしゃれに決まっていいですね。雰囲気重視のとんでも設定は目につく、でも飲んだ朝方に街を歩く感じとか良い。何より1人でいることに対する重要性、1人でいる時間の必要性を知ることで精神に自立心を育んでいくところはすごく社会に生きる女性的な強さがある。しつこいようだけどセンスがいいし、それはドリューバリモアのおかげ。 ■自分はその人の生い立ちやら、あまりそういう要素で判断したくないけど1人で暮らしたことがあるかってのはやはり重要視してしまう、一人暮らしをして、1人で朝方の街を歩き家に着き、朝日が昇りきった7時や8時のベッドで眠りにつく得体の知れない特別感だとか、そういうのを知ってるかどうか。
2017-5/26.Fri ■人とあって帰るときになってどうしても電車に乗る気にならなくて歩きはじめて、終電を逃して、海がありそうな方角に向かって歩いた。海は近いはずなのに閉ざされているかのように海にはたどり着けない。空は薄明るく、まるでどこかにつながっているとは思えない。東京の海の断絶、高速の経過。どこにもたどり着けない。こんなに物悲しい道があるとは思わなかった。ようやくたどり着いた高速のたもとは東京都は思えない、海と錆はこうであってほしい。きれいに取り繕っても意味がない荒ぶ潮風と金属をも侵食する鋭さでこんなに気取った東京の片隅で無骨にいてほしい。 ■思えば港と鉄と寒さは自分の一番好きな環境だった。地元には湾があり工場があって冬は当然氷点下で雪が積もっていた。東京には根雪なんて言葉も無ければコートを払えば落ちるような雪でも無い。自分が好きなのは雪の日の朝は抗うことの出来ない虫は死んでいなくなり余計な生臭さはない冬で、工場近辺の荒れた環境と賑やかさも無い無機質な海、幸せな初雪の降る冬じゃなく、暑い日に生きたくなる海じゃない。
2017-3/26.Sun ■谷川史子さんの「おひとり様物語」良い。このSNS時代、自分の価値基準が有りもしない他人の目に左右されてしまうようなことは、とことん馬鹿らしいけどそれを優しく肯定するのもまた他人というなんとも言えないストーリーをさらりと書いてしまう。度の話も素晴らしい。不倫していた女性が不倫相手の弾性に別れを告げて、離婚するからとか別れたくないとかの一悶着のあとに言われる「俺は振られるんだな」「わたしがずっとふられていたのよ」良い…。 ■新井煮干し子「渾名をくれ」久々にすっごい良い。
2017-3/10.Fri ■FFの起動音は今までの中でもPS4は一番と言っていいほど好き。何もして無くてもメニュー画面を開き続けてる。
2017-3/5.wed 発達障害と親の責任について気持ちを吐露したい
この記事に出ていた「以前、精神科医の水島広子さんが、〜」の部分が胸に突き刺さる。この発言を読んだときに自分だけでも人に優しく有りたいという傲慢さと、それ以上に自分はきっとそんな風に人に優しくできないし、きっと許せる側の心の広い人間じゃないという、核心めいた自己分析。
2017-2/12.Sun ■父親に誘われてタイに。父親の精神状態や健康状態から考えて不安定なのはわかっていたけどその不安定さのせいで自分が傷ついたりするのはおかしい。付き合ってられない。勝手にしてくれ。 ■父と喧嘩をして心の底から侮蔑しつつ父親の背中をすごく小さく感じて何とも言えない気持ちになった。この先も父親の生き方も思想も理解は出来ても共感は出来ないことも確実だと思いつつ、どこか折り合いをつけて付き合っていくんだろうとも思ってる。
2017-1/1.Sun ■FF15クリア。
うーん、自分は結局最低限のストーリーでもキャラクター達を操作し世界を歩き回り何かが起き、敵を倒し、傷つき、立ち上がり、そういうもので十分感情移入してしまうので最低限は楽しめた。でも心に残る1本だったかと言われると。
■正直言ってスピンオフ的な映画やアニメはかなり蛇足。いらない。アニメの出来は酷いし映画に重要な部分が多すぎる。ゲームの世界は個人的にはすごく好きだった。現代的な風景とファイナルファンタジー的な世界はきちんと融合していて、時間帯による風景の変化は素晴らしかった。夜の山道、舗装された道路の脇から森に入っていきモンスターとエンカウントする、そういう部分の丁寧な作りはファイナルファンタジーナンバリング作品だからこそのクオリティの高さ。FF15の世界の日常とモンスターとのシームレスな戦闘の関係性は過去作品よりもリアルに作られている。シームレスということに関して言えば今までで一番出来がいい。夜の散歩、昼のドライブ、それによって現実の世界に思いを馳せることが出来るのはすごく良い。 ■こんな言い方では画一的というか頭がかたいと言われそうでもFFのナンバリング作品としてれっきとした大作のRPG、数年に一度でるものとしてはやはりハッピーエンドが合うんじゃないかなと思う。もちろん今回はそれ以前の不満点もたくさんあったのもある。でもFFはやりこみ要素も一つの魅力だし、そうやって時間をかけたゲームがたどるエンディングがこれか?というのが正直な感想だった。特にQTE的なラストバトルのがっかり感は強い。そもそもアクションゲームやシューティングゲーム的な技術のほぼ要らないRPGにおいてプレーヤーにどの程度自分が操作した感を与えるかというのは最重要項目であるべきなのに、あんなふうにやっていて飽きる、つまらない戦闘には心のそこからがっかり。 ■でも全体的に楽しめたことは事実。ほんとに。いつだってFFには期待しかない。
2016-11/18.fri ■日本では銀座のapple storeで販売されている“Designed by Apple in California”が喉から手が出るほど欲しい!欲しい!
2016-11/17.thu ■話題になっていたPORTER ROBINSON & MADEON の[SHELTER]、この年になってあの可愛らしい萌え絵は俗っぽさを感じるけどアニメーションのストーリーと曲の切なさは胸にしみる。自分がもし高校生の頃だったらこの曲にどっぷりハマって1日聴いていたかもしれない、他にもそういうのがたくさんある。
2016-11/13.sun ■アニメ「オカルティック・ナイン」久々にアニメとしてくっそ面白いと思いました。 ■自分の知っているはずの場所でとんでもないことが起こる、という恐怖と同時に好奇心がわくような感じ。シンゴジラもそうだった。
2016-11/5.sat ■戦時の日記に載せてたメンヘラ韓国女子の彼氏アカウントの写真も岡崎京子の世界観なのでずっと見続けてる。素敵すぎる。 ■インスタやツイッターによる承認欲求の気持ち悪さを彼らが超えたのは間違いなく、観測者であるコチラ側の韓国語がわからないという事情などを含めたことなので、それもまたインターネットの成功だ。それ以前に彼らの美意識が成功しているけど。
2016-10/30.sun ■今更「重版出来」の漫画読みましたが素晴らしかった…!まだ1巻だけだけど。主人公の成長のスピードみたいなものがご都合的な部分もあるけど、見る力がありそれをしっかり描く力がある漫画家独特の力技がカッコいい。大きなマンガ業界を広く捉える視点も素敵。過去のアングラ的なインターネットの世界は今や広がり誰しもが情報を取捨選択できるようになった、独特で日の当たらない場所にひっそりとあるような文化ってものはほとんどなくなってしまったけど、誰しもが広く味わえる状況の中で、一人一人の深度は深くなった。漫画は確実にオタク的な世界を抜けてみんなが個別の知識を持ち、好きなマンガを胸に秘めている素晴らしい状況になった。漫画好きな人にはきっと自分が思っているこの漫画の世界の美しさは伝わる、この漫画の「漫画の編集の社内」の中でエロもBLも少年漫画も少女漫画も「良い売上」「悪い売上」として語られていて、エロやBLに対する偏見なんかはない。みんな漫画を面白いと言って読み、その価値をただその価値として売上に見ている。それってすごく素敵だ。売るという行為は広く遍く伝えようという善だ。「売れる漫画は愛されている」このセリフが集約。

JUNE 30,2019 0:10 AM

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